仕事・転職 写真を仕事にして生きていく ~ファインダーを通して見えてきた、本当の幸せ 石原眞澄(いしはら・ますみ) 写真による生き方学研究家/医学博士/写真家 東京都・世田谷区生まれ。写真で心身ともに回復した経験から、科学的な写真の効果に興味を持... 2024.06.16
仕事・転職 #40代#事業承継#後継ぎ#人事評価制度 『まったく継ぐ気のなかった家業の継承を決断』熊谷弘司 石塚株式会社 代表取締役社長 大学3年生のとき、「第一志望の会社に入社できなかったら会社を継ぐ」と宣言し、当時何の事業をやっているかもよく知らなかった家業を継ぐことを決めました。 我が家は祖... 2024.06.14
仕事・転職 #北九州市#60代#映画#早稲田大学 『映画監督になり、地元を舞台にした作品を撮る』雑賀俊朗 映画監督 夢だった映画監督を目指して企画を出し続け、2001年に監督デビューしました。 映画との出会いは、ラグビーに打ち込んでいた高校時代。腰を痛めて練習を休んだある日の... 2024.05.31
仕事・転職 #30代#転職#会社員#広報 『芸能活動を辞めて企業広報へ』三浦孔美(みうら・くみ) 株式会社AHGS 広報 2023年12月、32歳のときに芸能活動を辞め、会社員に転身することを決めました。 小学生のときにAM文化放送で流れていたアニメ「NARUTO」のラジオ番組を聞... 2024.05.17
仕事・転職 #30代#事業承継#後継ぎ#運送会社 『23歳で後継ぎを決意、従業員の待遇向上を実現』白川典人 代表取締役 大江運送株式会社 父が病気で倒れたことを受け、2002年、家業の大江運送の後継ぎになることを決めました。23歳のことです。 実家は競走馬輸送事業を営んでいましたが、「大江運送の息... 2024.05.15
仕事・転職 #20代#転職#資格#キャリアチェンジ 『料理人から世界トップエンジニアへ』安斎寛之 富士ソフト株式会社 主任 / エキスパート(エバンジェリスト) 19歳のとき、勤めていた老舗日本料理店を辞め、料理人からエンジニアになることを決めました。 小学1年生からおやつにラーメンを食べるほど、食べることが大好きだった... 2024.05.10
仕事・転職 #有料(100円) 【後編】嘘をつかず、真摯に鮨と向き合っていく 8年間、新橋の名店「新ばし しみづ」で修業を積み、2014年に独立して銀座に「鮨竹」を開業した三好史恵さん。前編では、鮨職人の道を志すまでの経緯について紹介した... 2024.04.26
PLUS 仕事・転職 #30代#夢#海外留学#PLUS 『音楽を仕事にして生きていく』ポール・キム 歌手 私の決断は、日本の大学に在籍中の2011年に、「音楽で生きていく」と決めて韓国に帰国し、歌手を目指したことです。 1988年、韓国の南に位置する光州広域市で生ま... 2024.04.24
仕事・転職 【前編】親方に惚れ込み28歳で弟子入り、鮨の道へ 東京・銀座の鮨店、「鮨竹」の大将、三好史恵さん。8年間、新橋の名店「新ばし しみづ」で修業を積み、2014年に独立した。女性が進むには険しい鮨の道をなぜ選んだの... 2024.04.22
仕事・転職 8年間の修業を経て、銀座に鮨店を開業 ~嘘のない鮨の世界で生きていく 三好史恵(みよし・ふみえ) 銀座 鮨竹 大将 1978年、愛知県春日井市生まれ。東京のインテリア専門学校を卒業後、設計事務所に就職。3年ほど働いた後、1年間イギ... 2024.04.21
仕事・転職 #40代#俳優#東日本大震災#MC 『ARを使った防災訓練を世に広めたい』板宮晶大 一般社団法人AR防災 代表理事/防災士 研究者である兄・板宮朋基が開発する最新テクノロジーを活用した防災訓練の普及のため、一般社団法人AR防災を立ち上げました。 高校1年生のときに阪神淡路大震災が発生... 2024.04.15
仕事・転職 #30代#北九州市#シングルマザー#公務員 『市の職員を辞めて市議会議員に立候補する』井上じゅんこ 北九州市議会議員 34歳のとき、福岡県北九州市の職員を退職し、市議会議員選挙に出馬することを決めました。 北九州市で生まれ育ち、高校は地元の進学校へ。9割が大学に進学する中で、私... 2024.04.10