りりぃさんショート

フリーランスのシンガーとしてさまざまなバンドで歌うお仕事をしていた42歳のとき、ご縁がありメジャーデビューの話をいただき、すごく迷ったものの挑戦することを決めました。

小学生のときから少年少女合唱団に所属し、私にとっての歌の原点は声楽でした。中学時代にはロックに目覚め、高校生になるとバンド活動を開始。21歳のときに全国でライブハウスを運営する「KENTO’S(ケントス)」にスカウトされ、地元福岡からスタートして、仙台や東京の新宿、銀座、六本木などのKENTO’Sの専属シンガーとして活動しました。KENTO’Sを卒業してからは、東京都内のライブハウスでバントやソロとして歌いました。

結婚、出産を経て一時は歌うことを中断。さらにプライベートでは悲しい出来事が続き、うつ病に苦しんだ時期もあります。40代になりようやく心身が回復し、歌を再開。そうしてライブハウスで歌っていた42歳のとき、ある芸能事務所の社長から「デビューしてみないか」と誘われたのです。当時、ライブハウスで歌う仕事はほぼ毎日出演するレギュラーボーカルだったので、生活も安定していました。何より自分の居場所があり、仲間がいて、毎日が充実していたのです。
デビューして吉開りりぃという唯一無二の歌手になるということは、これまでの仕事から離れ、自分の実力だけで勝負するということ。当然、売れなければ食べていくことはできません。42歳でそんな賭けをしていいのだろうかと、かなり悩みました。

そんな私に、社長は毎月最低限の生活ができるだけの保証を約束してくれました。何度も何度も会話を重ね、2年かけてお互いに信頼関係を築き、「この人と一緒に挑戦してみよう」と決断しました。私に賭けてくれた社長も、相当な覚悟が必要だったと思います。

そこからCDデビューに向けて準備を進めました。ライブハウスで歌うのは、洋楽がメインでした。デビュー曲は、自分のこれまでの人生をもとに作ってもらった、日本語の歌詞の歌です。英語の歌ばかり歌っていた私は、「愛してる」と歌うより「I love you」と歌う方が感情が入ります。「英語だと上手なのに、なぜ日本語を歌うとそんなに下手なの?」と言われ、2年ほどはひたすら日本語の歌の練習を続けました。

2012年、ブックリッジ・レコーズより「悲恋/数え歌/東京/ごはん」の4曲が入ったCDでデビュー。六本木にある250人ほどが入るライブハウスでデビューライブが開かれました。当時、そうそうたるメンバーがバックバンドとして私のデビューライブを支えてくれたことは、いまでも忘れられない大切な思い出です。

私がこれまでずっと歌い続けてこられた理由の1つは、負けず嫌いだったからかもしれません。「歌が下手」と言われるのが悔しいから、すごく努力しました。友人からの飲みの誘いも断って練習していたので、「付き合いが悪い」と言われたこともあります。それでも、私は天才ではないから、努力するしかないと思ったのです。

デビューして吉開りりぃとして歌うようになり、180度世界が変わりました。歌い続けていると少しずつファンの方が増えてきました。その応援のおかげでデビューから10年以上経ったいまもライブ活動を続けられていることは、本当にありがたく、幸せなことだと思います。

遅咲きすぎるシンガーなんて言われましたが、さまざまな経験をして、喜びも悲しみも味わってきたいまの自分だからこそ歌える歌があるはず。まもなく還暦を迎えますが、これからも衰えることなく、皆さんの期待に応えられるようなパフォーマンスを続けていきたい。精進あるのみです。

(構成/尾越まり恵)

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