
私の決断は、事業継承して引き継いだ債務超過の会社の経営状態を立て直し、社内のDX推進に着手したことです。
家業を継げと言われたことはありませんが、「いつかそうなるんだろう」と考えていた幼少期。大学卒業後は土木系の専門学校を経て横浜にある大手ゼネコンへ。工事責任者として大型の公共工事などを手掛けていきました。30歳、1級土木施工管理技士の資格が受かったこと、年齢的にもキリがいいということもあり、佐賀県武雄市の家業に戻る選択をしました。
入社後は社内の数字については開示されなかったので3~4年は「何か変だな」と思いながらも現場監督として粛々と仕事をこなして過ごしました。そんな中、久しぶりに高校の同級生と集まることに。国内最大手の自動車メーカーに勤務していた友人が家庭の事情で地元に帰らなければいけなくなったという話をしていました。
「地方には働き口はあるけど、働きがいのある会社はないよね」
その言葉は心に突き刺さりました。自社だけでなく地方全体の課題を突き付けられたような気がしたのです。どうすれば地方に働きがいのある会社をつくれるのか――?
そんな問いを持ち始めていた2009年、民主党政権による政策転換で公共工事が激減し、公共工事比率の高かったセリタ建設の業績は急激に悪化。工事部から営業部に異動して営業の最前線に立つも、現実は厳しいものでした。首都圏の大企業でバリバリ働いていた頃とは違って、家業に戻ると地方の一下請け企業。渡した名刺をその場で捨てられたこともあります。悔しさと情けなさが込み上げてきました。そんな中、友人の言葉がよみがえり、「魅力のない会社だからぞんざいに扱われるんだ」と感じるようにもなっていました。
営業部に異動すると数字もよく見えるようになりました。売上が数億円上がっていても手元に数百万円しか残らない債務超過は一向に改善されません。
働きがいのある会社がないなら、つくるしかない! 武雄市に働きがいのある会社をつくろう!
まずは業績を立て直すため、さまざまなITツールの導入を検討し、海外でも評価されているセールスフォースがいいのではないかと考えて、社内導入。何かを変えるのには痛みが伴います。全員から「そんなことに意味があるの?」と否定され、反対されましたが、私には迷いはありませんでした。雰囲気だけの営業、トップセールスだけができる営業でなく、1000万円の受注を取るために必要なアポイント数、商談数など、すべてを分解して科学的に証明し、理詰めで効率化と営業改革を進めていきました。契約書・稟議書・報告書のフォーマットも統一し、これまでよりも工数が減って楽になる設計にこだわってDXを推進。同時に、理念や社内のカルチャー改革も進めていきました。
大切にしたのは社員の納得感。自分自身も素直に学ぶ姿勢を持ち、東京までセミナーに出かけて行っては「そのパソコンに入っているツールは何ですか? どこがいいんですか?」と調査もし、2014年から4年間は仕事終わりにグロービス経営大学院にも通いました。
誰も乗り気ではなかったけれど、ツールを入れると残業が減り、残業が減ったのに売上は少しずつ上がっていきます。小さな成功体験を積み重ねていくと社員も納得するようになり、5年後には債務超過を脱却。売上はDXを推進する以前に比べて260%、経常利益は20%まで改善し、2019年に代表取締役に就任しました。
見えなかったものが見えるようになると、社員の意識も変わっていきます。自発的に成果を上げようと意欲が高まりますし、外部にも「雰囲気が変わってきたな」と伝わります。外部からの見え方が変われば内部の意識はさらに変わる。そんな相乗効果で社内文化の変革にも成功していきました。
国や佐賀県の補助金などを積極的に活用したことも良かったと思います。申請をすると投資のための資金が得られることはもちろんですが、申請書類に事業計画を書くのでスケジュール通りに進行できるというメリットもあります。
現在は、「けんせつ学びフィールド」というオウンドメディアも展開しています。働きがいのある会社を増やし、建設業全体のキャリアアップも支援していきたいと考えています。
(構成/岸のぞみ)株式会社セリタ建設 ホームぺージ










