廣田朱

今から二十数年前、勤務先だった知的障がい者の入所施設で取り組んだ就労支援。それが、わたしの人生における、1つの大きな分岐点となりました。

大学で社会福祉を選択したことに深い意味はなく、企業の合同説明会でいちばん人の少なかったブースに就職を決めたら、そこが福岡県の山奥にある知的障碍者の入所施設でした。そこで陶芸品を作ったり畑仕事をしたりしながら生活します。まだ今ほど世間の理解も進んでいなかった時代、障がいの重い彼らが一般企業への就職の道を選ぶという選択肢はほとんどありませんでした。

そんな中、わたしはある年若い入所者の男性と知り合います。ある日、彼は「施設を卒業して、外の企業で働きたい」と言いました。ところが、周りの職員は大反対。そもそも就職先を見つけること自体も難しく、仮に外で働けたとしても、思い描いていたような職場環境ではないことを知って傷つくだけだと言う人もいました。でも私は、本人がやりたいと言うのだから、その道を選ばせてあげたかった。
就職先が見つからないかもしれないし、就職した先で傷つくのかもしれない。でも、それを選ぶ権利は彼にあるはず――。

当時のわたしには、障がい者の就労支援に関してはほとんどノウハウがありませんでした。新聞の折り込みチラシにある求人票を一緒に見たり、ハローワークに一緒に行ったりしながら、「どんな仕事がしたい?」「こういう仕事なら募集があるよ!」と一緒に就職先を探し始めました。約1年後、倉庫内軽作業の仕事で無事に内定を獲得。彼はとても喜んで、その後、何年も年賀状を送ってくれました。

これが私の原点。そこから東京に拠点を移し、(通所)施設の立ち上げなども経験。ハローワークで就労支援を中心にした仕事に携わりました。仲の良かった友人を新型コロナウイルスで亡くしたことを機に、「明日が来ることは、奇跡なんだ」と痛感し、シチロカソーシャルデザイン設立を決意。現在は障がい者の就労支援や企業向けの研修などを手掛けています。
障碍者と健常者の壁を壊すべきだと言う人もいるけれど、わたしは個人の壁はあったほうがいいと思うし、尊重されるべきだとも思っています。区切られた壁を壊して平らにしていくのではなく、個人を尊重しながら時折周囲と折り重なっていく。いろんな人たちがいるから自然で、だから成立する森のような社会。そんな社会の実現に、これからも寄与していきたいと思っています。


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