さまざまな年齢・性別・職業の人たちが語る、人生の決断ストーリー
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『「1つの仕事に絞れない」コンプレックスからの脱却』前畑友美 hatch Lab.(ハッチラボ)主宰#40代#キャリア#自己肯定感#コミュニティ2024.07.03
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『温泉を核にしたウェルビーイングな「場」をつくる』村岡葉子 東北ウェルネス倶楽部#30代#スポーツ#ヨガ#二拠点生活2024.10.23
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『恩師・佐々部清監督の急逝をきっかけに、映画監督に挑戦』崔 哲浩(さい てつひろ) 俳優/映画監督#チャレンジ#映画#韓国#俳優2024.10.28
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『東京から北九州に戻り、街づくりに携わる』安藤進一 折尾商連 理事長/あかつき舎 代表取締役#50代#北九州市#東京#地方創生2023.09.27
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『息子のために、乳房の全摘出を決意』米澤悠里 UNVEIL(アンヴェール) 代表/フラワーコーディネーター#40代#シングルマザー#写真#婦人科2023.07.19
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『「金融×心理学」のメソッドで1人ひとりに合った資産形成をサポート』上原千華子 金融教育家#50代#心理学#投資#資産形成2024.10.25
女性たちの人生最大の決断ストーリー
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家族【前編】42歳で結婚、不妊治療を経て国際養子縁組を検討ネルソン聡子(ねるそん・さとこ)
翻訳者
大学卒業後、映画配給会社に就職。営業の傍ら作品のシノプシス翻訳や作品自体の翻訳を経験する。その後は自分の世界を広げようと海外とのプロジェクトを行う会社に転職、プレスリリース等の翻訳、PRやマーケティングを担当。教育関連の仕事に携わった後フリーランスに転向し、2013年より改めて翻訳業を開始、映像翻訳を行う。現在、翻訳者仲間とともに、海外の養子縁組に関するドキュメンタリーや当事者のインタビュー映像を翻訳・配信するプロジェクトも進行中。2024.09.30 -
仕事・転職【前編】離婚を機に、スタジオアシスタントとして写真の世界へ石原眞澄(いしはら・ますみ)
写真による生き方学研究家/医学博士/写真家
東京都・世田谷区生まれ。写真で心身ともに回復した経験から、科学的な写真の効果に興味を持つ。東北大学大学院医学系研究科脳機能開発研究分野博士課程修了。国立研究開発法人国立長寿医療研究センターの研究員としてポジティブ心理学にもとづいた独自の写真プログラムの実証研究を開始。高齢者を対象にした研究で気分改善効果を確認し、気分障害やうつ予防、認知症予防への非薬物療法の一選択肢として写真の有効性を実証中。2023年に一般社団法人フォトサイエンス ソサエティを設立。2024.06.17 -
仕事・転職【前編】親方に惚れ込み28歳で弟子入り、鮨の道へ三好史恵(みよし・ふみえ)
銀座 鮨竹 大将
1978年、愛知県春日井市生まれ。東京のインテリア専門学校を卒業後、設計事務所に就職。3年ほど働いた後、1年間イギリスで過ごす。帰国後、和食居酒屋で働き、28歳のときに鮨店「新ばし しみづ」に弟子入り。8年間の修業を経て2014年に独立し、銀座7丁目に「銀座 鮨竹」を開業する。2024.04.22 -
仕事・転職【前編】ファッションネイルから、福祉ネイルの世界へ小磯麻有(こいそ・まゆ)
つめトピア 代表
1981年、宮城県七ヶ浜町生まれ。短大を卒業後、機械メーカーに就職し、営業事務として働く。26歳で「手に職」としてネイルの道に進むことを決意。会社を辞めてネイルスクールで1からネイルの技術を学ぶ。6年間スクールに通い、ネイリスト検定1級と講師資格を取得。百貨店のネイルサロンでファッションネイルのネイリストとして働いた後、2015年に福祉ネイルの認定講師となる。福祉ネイリストを養成しながら高齢者にネイルを施す中で足の悩みを知り、2023年11月、訪問型の爪切り・爪ケアサービスの「つめトピア」を立ち上げた。2024.02.19 -
資格【前編】54歳から保育所でパート勤務、64歳で保育士へ石浜繁子(いしはま・しげこ)
えほんのおうち ゆめのき文庫 主宰
1942年、東京・月島生まれ。中学校卒業後、商社の電話交換手に。17歳のとき、好きな人の後を追い大阪へ。結婚し2女をもうける。1964年より現在の豊中市庄内に居を構える。地域活動に長く関わり、夫の退職を機に54歳で保育園のパートとして働き始め、64歳で保育士国家試験に合格。2018年、76歳の時に自宅を改装し「えほんのおうち ゆめのき文庫」を開設。2023.12.18 -
仕事・転職【前編】村民もそうじゃない人も対等につながれるコミュニティをつくる#山古志村#テクノロジー#NFT#村おこし竹内春華(たけうち・はるか)
山古志住民会議 代表
1980年新潟県魚沼市旧広神村生まれ。京都の佛教大学で教職課程を取得。卒業後は地元に戻り塾講師として働く。2007年から山古志村災害ボランティアセンターの生活支援相談員として働く。その後、地域復興支援員となりずっと山古志村の復興に携わってきた。2021年に山古志住民会議の代表に就任。夫の実家である和島から山古志までの距離を毎日通っている。アニメが好き。2023.10.23 -
仕事・転職【前編】バーレスクを通して問題提起をする小島かおり(こじま・かおり)
バーレスクダンサー
1988年埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。会社員でパフォーマー。幼少期からクラシックバレエを習い舞台衣裳に惹かれるようになる。高校時代は部活に打ち込んだ青春を過ごす。文化女子大学・文化学園大学大学院で服をなぜ着るのかについて学び考えるが、2015年に高田馬場After Partyにてバーレスクパフォーマーデビューし、現在は「なぜ人は服を脱ぐのか」を真剣に考えている。新宿・歌舞伎町のAFTER PARTY TOKYOで毎週木曜日にステージに立っている。2023.08.21 -
健康・からだ【前編】エピテーゼがあれば、生きやすくなる人が確実にいる牧野エミ(まきの・えみ)
ヒューマンアートスクール スクール長
事故や先天性・後天性の病気で欠損した体の部位を補うシリコーン製の人工補綴(ほてつ)物を「エピテーゼ」という。牧野エミさんは、日本ではあまり認知の進んでいないこのエピテーゼを広めるためにスクールを立ち上げ、製作技術を教えている。前編では、エピテーゼとは具体的にどんな物なのか、なぜ日本では認知が進んでいないのか、また牧野さんはどんなスクールを立ち上げたのか、紹介していく。2023.06.12 -
仕事・転職【第1回】ニュークラブで働く女性のマイナスイメージを覆したい津野麻亜邪(つの・まあや)
株式会社バルセロナ 取締役CHO(最高人事責任者)
20代、東京・表参道でブランディング会社のコンサルタントとして働いていた津野麻亜耶(まあや)さんは、2019年4月、北海道札幌市でニュークラブを運営する株式会社バルセロナへの転職を決意した。今は自宅のある東京と、職場のある札幌の2拠点生活をしている。プライベートでは間もなく1歳になる子どもを持つ母親でもある。なぜ、縁もゆかりもない札幌の会社に転職したのか? そこにはニュークラブで働く女性に対する熱い思いがあった。第1回では津野麻亜耶さんの人物像を紐解いていく。2023.04.10 -
独立・起業【第1回】ITコンサル、BARオーナー、母親……多くの顔で周囲を笑顔に関口和枝(せきぐち・かずえ)
合同会社にこ 代表社員
NTTドコモの携帯電話サービス「iモード」の時代から、一貫してコンテンツ制作に携わってきた関口和枝さん。夜は東京・中目黒のBARのオーナーも務める。そんな和枝さんがコロナ禍に決断したのは、「CBD(カンナビジオール)を原料とした化粧品を企画・販売する」こと。化粧品ビジネスは、初めての経験だ。なぜ、和枝さんは異業種への挑戦を決めたのか。第1回では、いくつもの顔を持つ和枝さんの人物像に迫る。2023.02.13