早瀬 恭

わたしの決断は、29歳のとき、インドで事業の立ち上げを担当すると決めたことです。

小学校時代は優等生で、卒業後は私立中学へ。ところがそこで周りの学力の高さに圧倒されドロップアウト。エスカレーターで行けるはずの高校に進学することが叶わず、地元の高校を受験することになりました。

進学した高校の担任から「あなたはここにいてはいけない」と言われたことを機に、アメリカ留学を決意します。実家で海外からのホームステイを受け入れていた経験もあったことから海外は身近な存在だったためです。とはいえ、英語が話せるわけではなかったので最初は苦労しましたが、3カ月も経てば少しずつ話せるようになり友達もできました。帰国後は県立高校に戻り、卒業後は帰国子女枠で京都の私立大学へ進学しました。この頃には、いつかグローバルな仕事がしたいと考えるようになっていました。

大学卒業後はハイクラスの人材紹介を手掛けていたジェイエイシーリクルートメントに入社。6年ほど営業職として勤務し、関西支社と東京本社にて化学部門の立ち上げなどを経験しました。海外赴任を希望していたので、29歳の10月、会長から直々に呼び出されたときには「いよいよこれは海外赴任だ」と期待しました。ところが会長からは「1月からインドに行ってほしい」と言われてあ然とすることに。当時シンガポールやタイには自社の拠点がありましたが、インドにはなかったのです。「インドに拠点なんてありましたっけ!?」と尋ねると「ないから、片道切符で行ってきて」と言われました。インドに行き、1人で新事業を立ち上げてきてほしいというのです。

現地採用枠となり駐在扱いにはならないため、危険手当などの手厚い福利厚生もありません。返答期限までの2週間、「インドは軽犯罪が多い」など、調べれば調べるほどネガティブな情報ばかりで頭を抱えました。しかし、ここで自分が断れば自分とは違う誰かに白羽の矢が当たるはず。「もし代わりに受けた人が成功したら」と想像すると耐えられませんでした。元来負けず嫌いな私は、気付けば「行きます」と回答していました。

29歳、2014年1月にインドへ出発。会計士を業務委託で雇って現地法人を設立し、営業免許を取得して営業を開始していきました。得意先は日系企業なので日本人ですが、求職者はインド人です。商習慣が違いすぎて戸惑うことは多々ありました。例えば6人分の面接を設定した日、企業に誰も現れなかったり、予定していない人が受けに来たりなんてこともザラです。私たち日本人は「人に迷惑をかけないように」と習いますが、彼らは「人は生まれながらに迷惑をかける生き物だから、相手に迷惑をかけられても許しましょう」という世界観で生きています。「時間を守らない」「約束を守らない」などは日常茶飯事。毎日インド人を怒ってばかりで仕事も何もうまくいきません。6人雇った従業員も1年後には全員辞めてまた1人に逆戻り。しかし盛大な送別会を開催してもらって日本から送り出された手前、泣き言も言えません。ビデオレターもいただき、がんばってと散々みんなに言われたことを思うと、ここで投げ出すという選択肢はなかったのです。

これではだめだと、まずは一緒に働く仲間探しに時間をかけることに。その結果、人材も安定し、いい人材が集まると仕事も好転していきました。商談中に停電しても平然と商談を続けられるようになった2年目と3年目には世界中のグループ企業を含めた全社表彰で最優秀な経営成績をたたき出し、2年連続で表彰されました。インドでの挑戦は高く評価され、その後、32歳でシンガポール法人の代表に、さらにインドネシア法人取締役兼務を経て、2019年に外資系の会社からヘッドハンティングを受けてLinkedInに転職を決意しました。

LinkedInでは営業部長として2年働きましたが、インドの事業立ち上げ時に感じたアドレナリンを思い出すと、「いろいろあったけど意思決定の連続だったあの頃にはすごくやりがいがあり、楽しかった」という思いが強くなり、2020年に採用支援サービスを手掛ける株式会社WHOMを立ち上げました。

今後は事業の多角化にも挑戦していきたいですし、社員にも事業の立ち上げを経験してもらいたい。自分も社員も成長していける環境を作っていきたいと思っています。

(構成/岸のぞみ)

株式会社WHOM ホームぺージ

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