杉ちゃんショート

画家として生きていく。
そう決断した、明確なタイミングがあったわけではありません。ただ1つ、鮮明に思い出すのは、美大を卒業後、大学院への進学や就職ではなく、絵を描き続けることを選択したときのこと。何をもって画家といえるのか、この職業には「国家試験に受かる」といった明確な基準がありません。自分が名乗れば画家なのです。ともすれば、テレビのニュースなどで「自称画家」などと書かれてしまう、非常に儚い肩書き。だからこそ、「何とか画家として頑張っていこう」と、そのとき強く思ったのでした。

根底にある思いは「ムードを変えたい!」

1983年、三重県津市に生まれました。田舎だけど、大自然に囲まれているわけでもない。どこにでもある、ごく普通の地方都市です。

子どもの頃からプラモデルを組み立てて遊ぶのが好きで、手先が器用でした。手先を使うものの1つとして、絵と出会ったのは、小学校1年生のときです。近所の時計店のおじいちゃんが開いていた絵画教室に通い始め、そこではじめて絵を習いました。同じクラスの絵のうまい子がそこに通っていたので、僕も行ってみようかな、と思ったんです。
当時描いていたのは、カブトムシや恐竜の絵。特別、絵を描くのが好き、楽しい、という感覚はありませんでした。ただ、そのときの先生が、目の色を変えて僕の母親に、「この子は天才だから、絵の世界に進ませたほうがいい」と言っていたんです。当時は、「そんなものかな?」と思っていましたが、何となくその言葉はずっと心に引っかかっていました。
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手先が器用な子どもだった


田舎の中学校では、ケンカの強い人がモテます。学年のかわいい子たちはみんな、腕力が強く、ちょっとやんちゃな生徒とばかりと付き合う。先生も、そういう生徒ばかりに目をかける。
「なぜ、マジメにコツコツやって、しっかり校則も守るような人に日の目が当たらないのだろう……」
子どもの頃は、そんな不条理をずっと感じていて、あー、田舎のこういうムードを変えたいな、と思っていました。

僕の特技といえば、手先が器用なこと。モテるためには、得意なことで勝負するしかない。でも、絵で目立つ場面なんて、中学時代にはほとんどありません。だから中学生の僕は、本当に地味でよわーい感じの、目立たない生徒だったと思います。
中学3年生のときに、母が僕の特技を生かすために、三重県に唯一ある芸術高校への進学を勧めてくれました。それがきっかけで、三重県立飯野高校の応用デザイン科に進学します。

東京に比べると圧倒的に情報の少ない三重県の芸術高校で、図書館にこもり、片っ端から画集や美術本に載っている絵画を模写しました。
新しい絵を描くには、過去にどんな絵があるのかを知る必要があります。長い歴史の中で、世界中の画家が脈々とトライアンドエラーを繰り返した結果、今の美術がある。自分の世界観を広げるためには、他の人の世界観を大事にする、尊重することが大事だと考えたのです。

なぜ、この絵が認められているのか。ひたすら考え、研究していました。いわゆる、ハングリー精神ですよね。それがたぶん、僕の画家としての出発点です。

影響を受けた画家は数えきれないほどいますが、1人挙げるとするならば、イギリスの画家、ルシアン・フロイトでしょうか。彼は、精神科医ジークムント・フロイトのお孫さんで、2011年に亡くなるまで、現存作家の中では、最も高い値段のつく画家でした。
絵自体は、奇をてらったところのない、非常にオーソドックスな油絵です。彼のおじいさんが哲学として追求していた「人とは何か」という問いを、彼自身は絵の具を使って追求している、というのが僕の理解です。絵の具の生々しさと、人間のリアリズムのようなものが、響き合った状態で成立しているのです。ルシアン・フロイトは、今でも僕の大好きな画家です。

「画家」という小さな看板を立てることから

高校を卒業した後、東京藝術大学を目指して上京します。しかし、何度か挑戦したものの、合格することはできませんでした。
「もう、三重に帰ってきなさい」と親に言われ、「武蔵美(武蔵野美術大学)だけ受けさせてほしい」と頭を下げて受験し合格、2004年に入学しました。
武蔵美だって、立派な大学なんですよ。でも、そのときの僕にあったのは、「夢に破れた」という思い。自分は落ちこぼれだ、と思っていました。
しかも、浪人しているので、僕はほとんどの同級生より年上です。そんな環境が、僕を奮起させました。
「1年生だけど、もう画家としてやっていける力量があるんだ」と周囲に伝えたくて、絵画コンクールに出品し続け、そこで受賞して少しずつ名前が知られるようになりました。

大学4年生のときには、絵が売れ始めていたので、就職することも大学院に進学することもせず、そのまま絵を描き続ける道を選びました。
そのときは、何の担保もない状態で、社会に放り出されてしまった感覚です。“覚悟”と言えるほど立派なものではありませんが、「やるしかない」と、心を決めました。「画家」という肩書きの名刺を作ると覚悟が生まれるから、と周囲にアドバイスされ、活動しながら名刺を配る。そうやってまずは自分の小さな看板を立てることから始めました。

現代アーティストを憧れの職業に

美大を卒業してから、「君は間違いなく現代アーティストだ」と周囲に認めてもらえるように、必死に絵を描き続けてきました。自分の作品を更新し、もっと良くするために実験を繰り返し、何とかいまの自分の最高の作品を作ろうとする。その中で、すごくいいものができたかもしれない。この絵を見たら、絶対にみんな驚いてくれるだろうな、という感覚が、だんだんわかってきます。そんな作品をお披露目する一歩前が、画家として一番わくわくする瞬間ですね。

一方で、それはめちゃくちゃ緊張する瞬間でもあります。不安8割、期待2割です。いま目の前にできた作品が、もしかしたらダサいかもしれないし、ものすごく革新的かもしれない。常にそのギリギリの勝負です。自分がどれだけイケていると思っても、酷評されることだってある。
この感覚は、ホームランバッターに近いのかなと思います。三振するかもしれないし、場外ホームランを打つかもしれない。そういう人には華がありますよね。だから、みんな応援したくなるんだと思います。

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自分が絵を追求する姿を見せていきたい


今後は、ハイブランドとのコラボレーションなどにも挑戦したいと考えています。自分の作品を、キャンバスだけでなく、財布やジュエリーに溶け込ませたい。でも、それはアートを身近で安いものにする、ということではなく、世界のトップブランドと一緒に価値を高め合いながら、アートを憧れの存在にしたい、というイメージです。

日本では、アーティストというと、“夢追い人”といった印象を持たれがちです。「好きなことがあっていいね」とか、「ちょっと変わっている子なのかな?」とか。それは、アートそのものが、まだ人々に浸透していないからだと思っています。絵を1枚完成させるために、どれだけの知識が必要で、どれくらい頭を使っているか。ヨーロッパでは画家と医師が同じ地位として扱われる国もある。手先の器用な子どもがいたら、周囲の大人が「アーティストなんて食えないからやめときなよ」と言うのではなく、「すごく素敵な職業だから、頑張りなさい」と言う。そんな、憧れの職業に変えていきたいんです。

そのために、YouTubeやSNSでの発信もするし、Amazon Prime Videoの恋愛リアリティショー『バチェロレッテ・ジャパン』シーズン1にも参加しました。第一線で活躍している多くのアーティストは、メディアなどに出て先入観がつくことを嫌がります。自身の人間性や恋愛観などが表に出て、作者の印象がついてしまうと、作品をまっさらな状態で見てもらえなくなるからです。
でも、僕は現代アートのムードを変えたい。もっと、アートってこんなに楽しいんだよ、と知ってもらいたい。だから、僕自身が露出していくことに可能性を感じています。

「愛」の一言に尽きる

僕が現代美術を通してやりたいことは、「愛」としか言いようがない。抽象的な表現はなるべく避けたいし、自分でも嫌になるんですけど、他に適切な言葉がないんです。

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絵によって驚きを与え、人々に寄り添いたい


僕は、誰かに好かれようとして絵を描いているわけではありません。自分らしい絵とは何ぞや、を極めていくことが、誰かにとってはものすごく救いになると信じているんです。

だから、時には思い切って裏切ることもある。前回の月の絵が好きだったから、次も月のシリーズでくると思ったのに、全然違う絵だったとする。最初は期待を裏切られたと思うかもしれないけれど、これはこれですごく良くて、だから杉田さんなんだ、と。自分がやりたい姿を見せてくれるから、自分も会社で勇気を出して自分の意見を言おうと思った。という人が増えているのがいまの僕です。

誰かに媚びているわけでもないし、かといって誰にも理解されなくていいから、自分の描きたい絵を描くんだ、ということでもない。
自分のやりたいことを震えながら貫きはするけれども、置いてきぼりにしたりはしない。わからないかもしれないけれど、わからないなりに解説はする。いつかわかってくれたら嬉しいし、そうじゃなかったとしても、それはそうなんだな、と受け止める。そんな作業を、僕は「愛」と表現しています。

願わくは、人々に寄り添っていたいし、さまざまなシーンで絵を理解するきっかけづくりを重ねていきたい。美大を卒業して14年、いまの僕はそんなことを考えています。

(文・尾越まり恵)

杉田陽平
画家・現代美術家
1983年、三重県津市生まれ。三重県立飯野高等学校応用デザイン科卒。2008年、武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業。Amazon Prime Videoの婚活サバイバル番組『バチェロレッテ・ジャパン』シーズン1の参加者に選ばれた。趣味は釣り・ミニ四駆。
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