類家心平


ジャズトランペッターとして生きていく。
僕が25歳のときの決断です。

小学校にブラスバンド部があり、10歳でトランペットと出会いました。夏にはコンクール、冬には全日本アンサンブルコンテストがあり、休み返上で猛練習する日々。小学校のクラブ活動とは思えぬ練習量で鍛えられ、中学・高校もそのままブラスバンドの強豪校へ。高校時代には「ジャズの巨人」として知られるアメリカ人トランペッター、マイルス・デイヴィス氏の音楽と出会い、一気にジャズの世界に引き込まれました。

音大でトランペットを学問として追及するよりも、ずっと現場で演奏していたい。
しかしジャズのプロ演奏家への道は狭き門です。ジャズを専門に扱う楽団があるわけでもありません。そんな中、地元・青森には海上自衛隊の大湊音楽隊があることを知り、自衛官としての収入を得ながら音楽も続けることができる音楽隊への入隊を決意。在籍期間6年、年間公演回数100日以上という実績を経て自信をつけた僕は、25歳で上京を決意。ジャズ1本で生きていくことを決めました。

上京後はアルバイトをしながらジャズ専門誌掲載のジャズバーやライブハウスに通ってジャムセッションを繰り返し、2004年、ついに念願のメジャーデビュー。プロのジャズトランペッターとして道を切り拓くことができました。

現在も月間ライブ本数は20本以上。ジャズバーやライブハウスを中心に演奏活動を続けています。リーマン・ショックやコロナ禍といった景気の影響も大きく、プロのジャズミュージシャンとしての道は試練続きです。
でも、やり続けたもの勝ち。やり続ける中でしか見えないものがたくさんある。トランペットはそれを教えてくれた大切な存在で、自分を表現するために欠かせないもの。これからもいろんな試練を楽しみながら、トランペットとともに人生を歩んでいきたい。25歳で上京したときと同じ思いを、今も抱き続けています。

類家心平 公式ホームページ
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