大手製薬会社で順調にキャリアを積んでいた36歳のとき、それまでのキャリアを手放し、イタリアへと飛び立った加藤まり子さん。実は、この決断に至る2年前には、長年確執を抱えていた母親の元を離れるという、もう1つの大きな決断があった。第2回では、まり子さんの生い立ちと母娘の関係性を追う。
まり子さんは大学を卒業後、新卒でIT企業に入社した後、大手製薬会社に転職。36歳までSE(システムエンジニア)からコンサルティングまで、システム関連の仕事を幅広くこなしてきた。
20代のときに仕事のつながりで出会った同業の友人、杉谷直美さんは、まり子さんの「プロ意識」の高さを指摘する。
「まりりんと直接一緒に仕事をしたことはないんですけど、20代の時点で周囲の評判はすごく高かったです。そもそも当時、女性のSEは少なかったんですよね。2人でよく業界ならではの悩みを語り合っていました。彼女がいつも『お金をもらっている以上、その対価に見合うサービスを提供しなければならない』と話していたのを覚えています。プロ意識が高いなと思っていました」(直美さん)
2014年にまり子さんは仕事を辞め、イタリアに行く決断をする。
「2人で神戸の街を散歩しているときに、仕事を辞めたと聞きました。『私のいる場所、ここじゃないと思っちゃったんだよね』、と。たぶん、会社では幹部候補生だったと思うんですよね。私はビックリして、『えっ、もったいない』と言った思います」(直美さん)
周囲を驚かせたまり子さん。決断力があり、これまでも自分自身の強い意志で行動に移してきたように思えるが、実はそうではなかった。まり子さんが自分の意志で人生の選択ができるようになったのは、35歳で母親の元を離れてからだという。
自分の気持ちがわからない