福岡で運営していた工務店を息子に譲り、私はそれまでお世話になっていたアップルゲート ジャパンの代表取締役に任したこと。それが私の決断です。
私は長崎県の離島、壱岐の島出身。先祖代々続く漁師家系で、中学校を卒業すると同級生の2~3割は漁師になるような町だったので私も漁師になろうと思っていました。しかし父親に「漁師になっても仕方がない! せめて高校は卒業しなさい」と言われたことを機に、地元の商業高校へ進学。卒業後は福岡で日用品販売の会社や保険の外交員などを経て、30歳のときに工務店に就職しました。
建築図面を引くところから始めて、施主様との打ち合わせ、現場の施工管理まで1人で担当するような職場だったので激務ではありましたが、絵に描いたものを目に見えるものとして引き渡せることにやりがいを感じでのめりこんでいきました。4年ほど経過してCADも5種類ほど扱えるようになった頃、ヘッドハンティングで営業責任者として住宅会社へ。モデルハウスの新しい断熱材を探していた際にセルロース断熱材メーカーのアップルゲート ジャパンと出会い、素晴らしい素材に感動して取り扱いを始めました。
ところが入社3年目、37歳の時に勤めていた会社が突然倒産。次の会社を探そうかとも思いましたが、妻にも友人にも「もう自分でやったほうがいいでしょう」と言われて、アップルゲート ジャパンの社長の励ましもあり、セルロース断熱材の販売店として1人で事業を始めました。
20年前はセルロースの認知度が低く、「ごみを再利用するのにお金を取るなんて!」と酷いことを言われながら新聞紙を再利用する断熱材であったセルロースファイバーの営業を続けました。しかしお金はないけれど時間だけはあったので、興味がありそうな工務店をインターネットで探してはハガキでDMを送付するという地道な営業活動などを続けました。その結果、1年目に3件200万円だった売り上げが7年目には50~60件まで受注を拡大させることができるようになりました。その後、セルロース断熱材を使用した、自然素材で高断熱の機能性にこだわった家を建てる工務店事業もスタート。福岡だけでなく、沖縄に支店を開設するまでに成長しました。
52歳になったとき、ふと事業承継のことが脳裏をよぎりました。あと10年は働けるけれど、62歳で引退すると息子は40代になります。40歳を過ぎるともう失敗は許されないのではないか? それよりも先に事業を譲り渡し、10年間伴走するカタチにすれば、それまで何かあっても私が責任を取ればいい。私は親戚が漁師ばかりで相談相手もなく苦しんできました。同じ思いを苦しみを味わわせるぐらいなら息子には早めに事業を継承したほうがいいのではないか? そこで腹をくくって事業承継を決断しました。27歳の息子に営業のイロハを叩き込んで3年前に息子が社長に就任しました。
とはいえ近くにいれば口出ししたくなるのが人情。会長職になってしまえばどうしても自分に実権があるカタチになってしまいます。そこで、私はちょうど同時期に後継者がいないという話をしていたアップルゲート ジャパンの営業の手伝いのため「出稼ぎに行ってくるわ!」と妻と一緒にボストンバック2つを持って上京。物理的に会社のある福岡を離れました。2024年の1年間で15店の代理店を増やし、「そろそろ世代交代も必要」とアップルゲート ジャパンの代表取締役に就任することになりました。
今後は輸送費や材料高のことも考え、セルロース断熱材を製造する工場を日本に作り、過剰な在庫を抱えたり、逆に入荷に数カ月かかるような事態を避けられたりするような体制を整えていきたい。コロナ禍以降、厳しい市況が続きますが「ピンチはチャンス!」と言い聞かせてこれからも頑張っていきたいと思います。
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