57歳ではじめて東京を出て、静岡の会社に転職することを決めたことです。
東京生まれ、東京育ちで他の地域で働いたりすることをイメージしたことはありませんでした。高校卒業後は青山学院大学に進学し、卒業後はNTTデータで社会人生活をスタート。入社後は、エンジニアとしてアミューズメント業界向けシステムを担当しました。仕事は大変でしたが楽しくストレス耐性も鍛えられていきました(笑)。
そうこうしている間に41歳の時にNTTデータテラノス(現KNT-CT・ITソリューションズ)という旅行業のシステムを組むグループ会社の社長となり、52歳からはネットイヤーグループというデジタルマーケティング会社の経営に関わりました。
57歳まで、東京の大企業グループの中でキャリアを積んでおり、概ねのことはそれまでグループ内で作ってきた人脈を活用することで円滑に仕事が進められるようになっていました。しかし、自身の35年の知見と経験をまったく違う分野で生かすことができれば、大きなイノベーションになりうると考え、東京でこれまで通りの仕事をし続けることもできたのですが、それは何か自分の成長を疎外しているなという感覚があり、過去の財産に依存し続けるのか? それとも未知の新しいチャレンジをするのか、葛藤もありましたが、自分にできそうなことの1つに「地域創生×デジタル」というキーワードが以前から頭の中にあり、思い切ってチャレンジすることにしました。 こうして、57歳のときに、静岡でシステム開発を手掛ける鈴与システムテクノロジーに社長として転職することを決めたのでした。
決断後は、これまでの人脈に頼ることなく、ゼロベースで人脈を形成することの新鮮さを味わっています。20代くらいの若かった時の苦労を、もう一度経験しているようで懐かしかったりもし、自分でも意識していなかった知見や経験を言語化することで、等身大の自分自身を知ることができています。
東京にいるときは、過去の人脈財産で惰性的な仕事をしていたことにも気づきました。静岡で取引先を訪問したとき、当たり前ですが自分のことを誰1人と知らないので、自分の行動と言葉で一つ一つ信頼と信用を積み重ねていく必要があるので、いまは苦労していますが、それも新鮮です。
静岡で働いてみると気候も人柄もよく、いい街だと感じます。少しのんびりと物事が進んでいく地域特性も理解しつつ、静岡で唯一無二の会社になれれば、静岡全体の経済成長にもつながるなと思っています。
いまの会社では新しいビジョンを打ち出し、新規取引先開拓にも注力しています。
ビジョンは「静岡の地域で真の価値創造」を目指すことです。自分が大企業で得た知見やスキルを活かし、地域社会に密着した挑戦をすることで、企業と地域の未来をともに作りたいと考えています。 57歳という年齢での挑戦は、勇気が必要であり、驚かれるかもしれません。この挑戦が同じように転機を迎えた方々に「年齢に関係なく、新しい挑戦はできる」というメッセージになればと願っています。
個人の可能性、そして地域の可能性を切り開いていきたいと考えています。 日本は東京一極集中化が進んでおり、地方はどんどん人口減少が進むので、デジタルを活用した着眼点でイノベーションを起こし、地方へ人が増えていくような逆回転を起こせれば日本全体が元気になると考えています。デジタルにはその可能性を秘めていると信じてます。
「静岡をITデジタルの力で元気にする」を合言葉に、「静岡県のデジタル業界の会社といえば鈴与システムテクノロジー」と言われるようになるまで、地域社会との連携も深めていきたいと思っています。
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