柴順子

19年務めた銀行を退職し、55歳のとき、はじめて営業職への転職を決めました。

商業高校出身で、信託銀行の事務職へ。そこで知り合った男性と結婚し、21歳で寿退社をしました。その後は専業主婦として2人の子どもの子育てに専念し、下の子が小学校の高学年に入ったのを機に地方銀行のパートタイマーとして復職し、個人ローンの審査部署で審査受付担当として働きました。立ち上げ部署だったこともあり従業員同士の仲が良く、上司にも恵まれたことから仕事は順調で、パートから嘱託社員となり、その後19年にわたって勤務しました。

仕事は楽しくパートの方々のまとめ役として頼られることもうれしかったので、仕事に行くのが嫌だと思ったことは1日もありませんでした。ところが50歳のとき、夫がすい臓がんで他界。翌年は自身が粘膜下腫瘍で手術するなど、健康に関して考えさせられる出来事が重なり、残りの人生の生き方について考える日々が続きました。仕事に対する不満はまったくありませんでしたが、ベテランとしてルーティン業務をこなす毎日には成長がないのではないかと考えるように。そんなとき、知人を介して住宅ローンを手掛けるFBモーゲージのことを知り、「話だけでも聞いてみないか」と言われ、一度食事に出かけました。

社長とベテラン社員の方と知人、私の4人での会食でしたが、社長の気さくさや仕事への熱意に惹かれ、改めて会社で面接を受けることに。「この年齢でも大丈夫ですか? 事務しか経験がありませんが、営業としてやっていけますか?」と確認しました。銀行時代に上のグレードの試験を受けようと思った際、「その年齢で?」と聞かれたことがあったのが心に残っていたためです。でも社長は「年齢はまったく関係ない」と言い切ってくださいました。その言葉の力強さに心打たれ「挑戦してみたい!」と転職を決めたのでした。

銀行の仲間たちは驚いて、辞めさせないようにという嘆願書を書いてくれたり、「給料を上げるので何とか残ってもらえないか」と上層部の人が面談に来たりと大騒ぎでしたが、私の決意は揺るぎませんでした。

転職後は顧客と直接メールや電話でやり取りする契約業務を担当しました。覚えることも多く、なかなかうまくこなせない自分にどんどん自信をなくす日々。正直転職を後悔した時期もありましたが、すぐに結果に結びつかなくても自分に少しでも自信をつけたいと考え、宅地建物取引主任者の勉強を開始。毎朝4時に起きて勉強し、会社は絶対に休まないと決めて1年間努力を続けたところ、翌年無事に資格を取得。勉強したことと資格を取得できたことで自信がつき、仕事にも前向きに取り組めるようになりました。2024年には、言ったことを体現している人に贈られる「体現賞」を受賞。一歩踏み出せて本当によかったと思います。

60歳を機に少しだけ働き方を調整し、ゴルフをしたり旅行をしたり、4人の孫たちと遊んだり、仕事とプライベートをうまく両立しながら毎日を送っており、とても充実しています。これからも感謝を忘れず、失敗を恐れずにいろんなことにチャレンジし続けたいと思います。
(構成/岸のぞみ)


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