29歳のとき、ミャンマーから日本に移住することを決めました。
私はミャンマー生まれのミャンマー人です。意外に思われるかもしれませんが、ミャンマーには日本の製品があふれています。道を走るバスも日本製。日本製品は安全でクオリティーが高いと子どもの頃から思っていました。日本食には好きな食べ物も多く、四季を感じられる自然の美しさも魅力的です。また、日本人のマナーの良さやサービスの良さ、接客の良さ、健康・衛生意識の高さなどにも惹かれました。
学校卒業後はミャンマー国内にある日系企業で働き、コーダーとしてWEBサイトの制作・開発に携わりながら、日本語を勉強。日本の食べ物や風景に詳しくなるにつれ、「いつか日本に行ってみたい!」という気持ちは強まっていきました。
29歳のとき、両親にその思いを打ち明けると2人ともびっくりしていましたが、「日本ですでに働いている友人もいるので大丈夫!」と説得し、来日を実現。日本のIT企業に入社し、コーダーの仕事を始めました。
日本に来たのは29歳の冬のことで、とても寒かったことを覚えています。ちょうどコロナ禍に入る頃で家族と会えない寂しさや日本人特有のマナー、箸の使い方など、いろいろと苦労しました。そもそも1人暮らしをしたこともなかったので、当時は両親に電話で料理の仕方を聞きながら、ECサイトでミャンマーの具材を取り寄せてミャンマー料理を作っていました。
語学の面でも苦労しました。ミャンマーでも日本語を使って仕事をしていたものの、会話のすべてが日本語という状況ははじめて。日本人ボランティアの方に日曜日に日本語を教えてもらいながら、独学で日本語の勉強をがんばりました。日本語の先生はやさしく、私と同じようにミャンマーから来て日本で働く人々をいつも助けてくれます。
その1年後、人材開発・DX支援を手掛ける現在のFiveVai に入社。これまでの技術を生かし、コーダーとして働いています。2024年で、移住4年目。実際に日本に来て生活してみると、日本食のヘルシーさや日本人の健康意識の高さに驚かされます。私自身、日本に来るまでファストフードばかり食べていましたが、日本人の姿に刺激を受け、食べるものにも気を遣うようになりました。いまでは野菜もおいしいと感じるようになりました。他にも、週に4日はホットヨガに通い、日常的に運動して健康にも気を遣っています。
今後については、まずは日本語の勉強をさらに続け、コーダーとしての技術ももっと高めていきたい。現在は大阪に住んでリモートワークをしていますが、まだ行ったことのない日本の場所、山形県や栃木県の日光市などにも行ってみたい。これからも仕事にプライベートに、日本での生活を楽しんでいきたいと思います。
(構成/岸のぞみ)株式会社FiveVai ホームページ