帰山純一

曾祖父の代から続いてきた簡易宿泊ホテル「ほていや」を継ぎ、コロナ禍という厳しい経済状況の中でも廃業しないという選択をしたこと。これが私の決断です。

江戸時代に徳川家康が整備した五街道の1つ、旧日光街道に位置し、すぐ裏にはかつて吉原遊郭があったという歴史的な街・台東区山谷(さんや)。曾祖父は福井県から上京して大相撲の高砂部屋へ入門し、関取として活躍したのち、引退。その後、簡易宿泊所を始めました。私は幼少期から実家が運営する宿泊所のフロントに座り、見よう見まねで接客をしてお客さんを喜ばせるのが好きでした。うまくやればお客さんがお菓子を買ってくれたりもした。宿泊業とともに育ってきた私にとって、その代表を引き継ぐことはとても自然なことでした。

「寝ること」に特化した3.5畳の部屋は1カ月滞在しても9万円という破格の金額で、その後、日雇い労働者や宿代を安く抑えたい国内外の観光客などに受け入れられていきました。

ところが、コロナ禍で観光客需要はゼロに。無観客試合や無観客コンサートが常態化したことで、イベント関連の団体客もいなくなりました。2020年秋に「GoToトラベル」キャンペーンが始まったものの、そのようなクーポンが使われるのは決まって高級宿で、部屋に風呂もトイレもない安宿に来てくれる人はいません。オリンピックを見据えて増築した別棟もガラガラで、毎月100万円単位の赤字を垂れ流す状況に陥っていました。1年後には融資も底を尽きはじめ、周囲の同業者も続々と店じまいを始めました。銀行の担当者からも「宿泊業を辞めて何か違う商いをしてみては」と言われましたが、私たちの宿泊施設には連泊を重ねてほとんど住んでいると言っても過言ではないお客様さんもいましたし、家族総出の商売でもある。戦争、大震災、何度もあった苦境を乗り越えてきたことを思えば辞めることはできませんでした。何より、宿泊業が面白くてこの商いをやっているのに、今さら違う商売はできない、という思いがありました。

徹底的なコストカットを開始し、全5フロアのうち、2フロアに集中して宿泊してもらって他のフロアを完全封鎖。すると、長澤まさみさん主演の映画『Mother』やTVドラマ『特捜9』、バラエティの『水曜日のダウンタウン』といった映像業界からの引き合いがあり、封鎖したフロアを有効活用することができたのです。また、コロナ禍で年を越せない人のためのシェルター機能をもつ宿泊施設(福祉宿)として東京都が一括借り上げをしてくれることも決まりました。

「辞めない」と決めたら運が回ってきた。あのとき、辞めずにいた結果、今ようやくコロナ前の経営状況に戻すことができました。きらびやかな装飾も豪華な設備もないけれど、お客さんも従業員も家族のように思って接してきた、おもてなしの商い。これから先も、この原点を忘れず商売を続けていきたいと思っています。


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