吉田眞理さんショート

ブルボンの社長である夫から「新会社を立ち上げるから任せたい」と言われた2001年、私は3人の子どもを育てる専業主婦でした。悩んだ末に市民ボランティアの皆さんとともにある1つの企画の実施を決断し、私の人生は大きく変わっていきました。

ブルボン3代目社長の3番目の娘として新潟県柏崎市で生まれ育ちました。私自身は、目立たず生きていきたいと思っていました。結婚後は専業主婦となり3人の子どもの育児に向き合っていました。
そんなときに突然、父の死後に社長となった夫から「新会社の事業内容から考えてほしい」と依頼され、非常に戸惑いました。主婦業の経験しかない私の頭には、新事業など何も思い浮かびません。「人々は何を考えているのだろう」と、柏崎の街の人たちの話を聞いて歩きました。そこで私が見たのは、街のため、子どもたちのため、市民のためにさりげなくボランティア活動をしている人々の姿でした。こんなに多くの人たちが社会貢献していることを1つのストーリーにして発信できないものだろうかと考えるようになりました。

そんなある日、友人に誘われて「柏崎飯塚邸」を訪れました。飯塚邸は文化財指定を受けた柏崎市の史跡で、戦後に昭和天皇が巡幸された際の「行在所(あんざいしょ)」となった場所です。
その飯塚邸のお屋敷に足を踏み入れた瞬間、1つの企画が私の頭の中に降りてきました。そこで市民ボランティアの実行委員会を結成し、「柏崎飯塚邸から世界への発信」と題したイベントを開催しました。新潟産業大学に通う内モンゴルの留学生、オヨン・チョクト君によるモンゴルの楽器「馬頭琴」の演奏と柏崎絵本館サバトの代表、西川暁子さんによる『スーホの白い馬』の朗読のコラボレーション、さらに三味線奏者の上原誠己さんによる日本古典芸能「義太夫節」と馬頭琴の演奏によるコラボレーション。柏崎市から「和」の心を発信できるのではと考えました。

柏崎といえば、「原発の街」というイメージがあります。マイナスは視点を変えればプラスに転じる可能性があると私は考えました。命と隣り合わせの技術を使う人類に必要なのは、人を大切に思う心を育み、それを発信すること。大きな負のイメージのある柏崎市だからこそ、その使命とチャンスがあるのではないかと考えたのです。

義太夫節を演奏してくださった上原誠己さんは、のちに日本文学研究者のドナルド・キーンさんと養子縁組をなさいました。誠己さんとのご縁からキーン先生との交流ができ、夫の強い意向で2013年にはキーン先生の資料を集めた博物館「ドナルド・キーン・センター柏崎」を設立。いまは新会社をたたみ、センターを運営している公益財団の理事の仕事に注力しています。

ドナルド・キーン・センター柏崎 ホームページ

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