ふらここショート

私の祖父は、人間国宝に指定された人形師の原 米洲(はら べいしゅう)です。2008年、家業の人形店から独立し、「赤ちゃん顔」の小さなひな人形・五月人形を作るための工房を立ち上げました。

人形師の家系に生まれ育ちましたが、文章を書くのが好きで、大学卒業後は出版社に入社しました。数年働きましたが、父親が急逝。家業に入り、そこから「人形作りを極めよう」と技術を学んでいきました。

実家の人形店で働いていたあるとき、お店に電話がかかってきました。
「祖父母からひな人形を贈られたのだけど、キャンセルしたい」
お孫さんの健やかな成長を願って選ばれた商品だからと私は説得を試みましたが、「いらないから」とあっさり断られてしまいました。
その年、同様のキャンセルが相次ぎました。そこで、自分たちが提供している人形と、お客様のニーズがずれてきていることに気づいたのです。

マンション住まいの家庭が増えたことで、従来の大きなサイズのひな人形は好まれなくなっていました。また、若い母親たちは、伝統的なお公家さんの顔よりも「かわいい顔」に興味を示しました。
そこで、手のひらに乗るようなコンパクトサイズで、赤ちゃん顔のかわいい人形を作ることを提案しました。
しかし、顔は人形作りの中でも最も重要で高い技術が必要な部分です。「変えるべきではない」と猛反対され、私の提案は却下されてしまいました。

――どうしても、お客様に喜んでもらえる人形を作りたい!
諦めきれず、45歳で家業からの独立を決めました。生命保険を解約してかき集めた自己資金が1000万円。自宅を担保に入れてさらに1000万円の融資を受け、後には引けない決死の決断でした。

ひな人形も五月人形も、1000年以上続く日本を代表する伝統文化です。赤ちゃん顔の人形は、伝統文化を破壊したのではなく、時代に合わせて変えただけというのが私の考えです。赤ちゃん顔であっても、顔作りの基本の技術は祖父から受け継いだものが生かされています。家業で働いているときから、伝統を継続させていくにはどうすればいいかを自分なりに考え続けてきました。そうして辿りついたのが、当社の人形です。実際に、「かわいい」と多くのお客様に喜んでいただけています。
歴史を勉強して分かったことは、風習も文化も変化し続けているということ。時代に合わせて形を変えていくからこそ、伝統は後世に受け継がれ、残っていくのだと思います。

ふらここ Instagram
ふらここ ホームページ

おすすめの記事