六鹿 香

口と足で描く芸術家協会に所属して、一人暮らしをするという長年の夢を実現しました。

未熟児として生まれた私は、生まれつき手足が動かず、生後4カ月で「先天性多発性関節拘縮症」であることが知らされました。両親は「自分でできることは、可能な限り自分で」という自立を促す教育方針だったことから、普段の生活もなるべく自分ですべく、口を使って身の回りのことをこなすことを覚えていきました。保育園のときのお絵描きの時間に口でペンをくわえて描いてみると思いのほかうまく描くことができ、絵を描いているときは自分のハンデを忘れることができました。

小学校ではほとんどの授業を通常クラスで受けていましたが、授業ではノートを取るのにも一苦労。赤線を引いたり蛍光ペンを使ったりとペンを持ち換えるのは大変で、人より早く問題を解いて早く板書をする術を覚えていきました。「時間がかかりすぎることは友達や支援の先生に頼むように」と言われても、間に合うかどうかはやってみないとわからないことも多く、「何が頼むべきことで、何は自分でやるべきことなのか」その判断にも悩みました。また、物を口でくわえてさまざまな作業をこなすため、友達に頼むと「汚い」と嫌がられることもあり、依頼する難しさも感じました。

中高は特別支援学級に進学。パソコンスキルを身に着け、卒業後は通っていたデイサービスで職員として事務仕事をして働くようになりました。そんな生活の中、心のよりどころとなっていたのが絵やデザインの世界でした。

小学校のときは『ちゃお』(小学館・刊)を読んで少女漫画の世界にハマり、中・高では『黒子のバスケ』(藤巻忠俊/集英社・刊)のようなアニメや漫画に熱中。自身でも独学で絵を学び、2015年、16歳のときには著名人が描いた絵と自分で作った詩のコラボレーション作品が第21回NHKハート展に入選。2016年に開催された「G7伊勢志摩サミット2016」のロゴマークのコンテストではデザインしたマークが最終候補の一つとして入賞。デイサービスの仕事の中でも職員のシフト表の作成や入力業務のほかに、イベント用のチラシ作成などを担当しました。

そんなとき、ケアマネージャーの紹介で、地元・三重県で開催される口と足で描く芸術家協会主催の絵画展を知りました。自分以外にも口を使って絵を描いている人を見たのははじめて。とても新鮮に映り、協会の人々と話す中で「将来的に自立できる可能性がある」と感じ、2018年に口と足で描く芸術家協会への所属を決意。デジタルで描いていた絵が少しずつ仕事につながるようになり、協会の支援により絵を学んだり絵を描くための道具をそろえたりしていくことができました。

最終的な自立は親と別居すること、と考えていた私は、一人暮らしを始めることを決意。両親には「グループホームでいいのでは」と言われたし、実際「車いす使用者」というだけで入居を嫌がられるので物件探しも大変でしたが、SUUMOで日夜探して新居を見つけ、協会の支援とヘルパーさんの助けを借りながら、2020年よりついに念願の一人暮らしを開始することができました。

一人暮らしという大きな夢を叶え、いまではデイサービスの仕事を辞めて、絵に専念。協会グッズのイラスト制作を手掛けて生計を立てています。協会のサイトにコメントがつくとうれしいし、SNSを検索してみると「六鹿さんの絵は毎回かわいいからスクショで撮る」という投稿もあり、反響が見えるのでとてもやりがいを感じます。

今後もこの自立した生活を続けながら、協会での仕事を増やし、絵を描いて生きていきたいと思います。

(構成/岸のぞみ)

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