大西さんショート

明治15年創業の家業の人形店を継ぐ。決断というよりそれは、この家に長男として生まれてきた僕の宿命のようなものでした。

僕の実家は名古屋の城下町にある大西人形本店。店舗と家が隣接していて、子どもの頃から1階では職人さんたちが賑やかに仕事をしていました。
「楽しそうだな」
これが、物心ついた頃の僕の家業のイメージです。親から直接「後継ぎだ」と言われたことはありませんが、職人さんやパートのおじさん、おばさんたちにかわいがられて育った僕は、当然自分が後を継ぐのだろうと思っていました。

大学を卒業後すぐに家業で働こうと思いましたが、父に「外の世界も見たほうがいい」と言われ、大判焼きの会社に就職。理由は、あんこが好きだから。 父から「そろそろ帰って来ないか」と声をかけられたのは、店長を任されていた29歳のときでした。いつか来るその日が、今日来た。そんな感覚で、迷うことなく僕は大西人形店の後継者として働き始めました。

子どもの頃は賑やかだった職場も、徐々に職人さんが減り、寂しくなっていく。そんな状況を目の当りにしていたので、人形業界が斜陽であることは覚悟していました。
人々の生活様式も変わり、ひな人形もいまはおひな様とお内裏様の一段飾りが主流。大きいものでも三段で、七段のフルセットはいまでは国内で揃えることも難しくなっています。ただ、飾りが簡素になっても、親族が人形に込める「子どもが健やかに成長するように」という思いは変わりません。お客様のご自宅に飾り付けに行ったときに、ご家族の嬉しそうな笑顔を見る瞬間が、この仕事の一番の喜びです。

次期店主として、お店をどう継続させていけばいいのか。そして、日本人形や節句といった日本の伝統をどう守っていけばいいのか。簡単に答えは出せません。
ビジネスの側面から考えれば、世の中のニーズに合わせて、人形の形を変えていくのが正解でしょう。でも、やりすぎると「何でもあり」になってしまい、伝統が損なわれてしまいます。僕が後世に残したいもの、伝えたいものを言語化するのは難しいのですが、それは人形店の息子としてのアイデンティティのようなもの。伝統や自分自身のアイデンティティを大事にしながら、ビジネスとしても成り立たせる。そんな勝負に挑んでいます。
子どもの頃、僕をかわいがってくれた職人さんたちに、「大変だけど、あんたよう戦っとるわ」と言ってもらえるような後継者でありたい。僕の挑戦は続きます。

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