斉藤さんショート

海外移住サポートを展開する企業を設立して約4年後、会社の事業の柱をマレーシアへの語学留学と大学進学を支援する事業に大きく方向転換しました。

兵庫県に生まれ、地元の高校に進学。私の高校時代は、海外留学の選択肢などなく、別世界の話だと思っていました。はじめて海外に行ったのは大学生のときです。卒業間際、アメリカへバックパッカーの旅に出ました。当時は英語もほとんど話せない中で、2カ月弱かけてアメリカを1周しましたが、いま振り返っても、かなりアドベンチャーな経験でした。
大学卒業後、大手飲料メーカーに就職し営業を担当しました。仕事は楽しく、営業としても結果を出せていましたが、「海外に行きたい!」という思いが強くなり3年で退職。ワーキングホリデーでニュージーランドとオーストラリアに行きました。

2005年に帰国し、オーストラリアで知り合った知人が海外移住サポートの事業を創業するタイミングで立ち上げメンバーとして入社。多くのことを学ばせてもらったものの、事業は軌道に乗らず、5年後に会社を畳むことになりました。

無職になった私は、今度は自分の力で海外移住サポートの企業を立ち上げようと決意しました。2010年11月に海外ステイサポート株式会社を設立し、世界9カ国、17都市を対象に、定年退職したシニアの方に向けて、海外移住や数カ月程度の短期海外滞在をサポートする事業を展開。当時、団塊の世代が次々に定年退職を迎えており、一定の需要があったのですが、そこまで大きなマーケットには育ちませんでした。

何かしら事業を転換させなければと考えたときに、注目したのがマレーシアでした。観光地としては影が薄い印象のマレーシアですが、移住先としての人気は抜群でした。
マレーシアという国に大きなポテンシャルを感じ、マレーシアへの語学留学と大学進学支援事業にフォーカスすることを決めました。

私がマレーシアに魅力を感じた理由の1つとして、マレーシアは、マレー系、中華系、インド系など他民族が集まっている国なので、違う民族や文化を受け入れる土壌があり、日本人に対しても良い印象を抱いています。
さらにマレーシアでは、1990年代に教育改革が行われ、イギリスやオーストラリアの教育システムを積極的に取り入れたり、国立大学だけでなく私立大学を新設したりするなど教育にも力を入れています。また、マレーシアの大学には世界140カ国から学生が集まっており、非常に活気にあふれていて、母語はマレー語ですが、私立国立ともに大学の授業は基本英語で行われています。街に出ても英語だけで生活できる環境が整っており、それも日本人が生活しやすい理由の1つです。

さらに、マレーシアの物価は日本の半分程度で、授業料も家賃も欧米に比べると半額から3分の1以下。留学の一番のハードルはやはり費用面なので、マレーシアは穴場と言える場所です。
もし大学時代の自分がマレーシア留学のことを知っていたら、絶対に行きたいと思ったはずです。調べれば調べるほどマレーシアの魅力や教育レベルの高さを確信していたので、留学支援事業にフォーカスすることに不安はありませんでした。当時から日本国内でマレーシア留学を専門に事業を展開している会社はほとんどなく、この領域なら1位になれると考えたのも、経営判断の後押しとなりました。

結果的に、ニーズとマッチし現在では業界でトップシェアを獲得するほどに成長しました。とはいえ、まだまだ欧米など留学先として人気な国に比べるとマレーシア留学は知名度が低いのが現状です。今後は、マレーシアという国や留学の魅力の発信に力を入れることで、費用面で海外留学を諦める人を1人でも減らし、マレーシア留学によって人生の可能性を広げてほしいと思っています。

経営者は時代の流れや市場の可能性を見極めながら、意思決定をしていかなくてはなりません。いま振り返っても、あのときマレーシア留学支援事業にフォーカスしたことは良い決断だったと思いますが、それ以上に、自らの決断に対し絶対に成功させると覚悟を決め懸命に頑張った、そのことに価値があると感じています。

(構成/尾越まり恵)

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