田代親世(たしろ・ちかよ)韓流エンターテインメント・ナビゲーター

韓流エンターテインメント・ナビゲーター 田代親世さん

1997年、香港の中国返還という歴史的な瞬間をリポートするため、香港留学を決意した田代さん。映画をきっかけに好きになった香港だったが、留学中に韓国ドラマのPRナレーションの仕事を手掛けた縁から、今度は韓流エンタメに魅了される。ブームが巻き起こる前から今日まで、大好きな韓流エンタメの魅力を発信し続けてきた。後編ではそんな田代さんの韓流人生を追っていく。
 香港で韓国ドラマのPRナレーションを手掛け、帰国後に韓流エンタメに夢中になった田代さん。1999年に公開された映画『シュリ』は日本でも話題になったものの、韓国ドラマは当時まだ地上波テレビでは放送されておらず、知名度は低かった。  「こんなに素敵なものだから、もっと多くの人に知ってほしい」  そう考えるようになった田代さんは、2000年に韓国ドラマの魅力を書籍『韓国エンターテイメント三昧』(芳賀書店)にまとめ、出版した。この書籍をきっかけに、少しずつ韓国エンタメに対するコメントを求められたり、取材を受けたりするようになった。  「このときはまだ、韓国エンタメを仕事にできるとは思っていませんでした。韓国ドラマは家族をテーマにしたものも多く、幅広い層に受けるのではないかとは思っていたんです。でも、香港エンタメの市場よりは大きいかな、という程度で、この後の爆発的なブームは予想外でしたね」  2003年4月からNHKのBSでドラマ『冬のソナタ』の放送がスタート。当時はまだ限られた人しか見ていなかったが、少しずつ口コミで広がり、注目を集めるようになった。  ブームの決定打となったのは、はじめてNHK総合で地上波の放送が始まった2004年4月3日。この日、主演のペ・ヨンジュンさんが初来日した。田代さん自身もこの日を「韓国エンタメに携わってきた者として忘れられない日」と振り返る。 「ヨン様」を一目見ようと、5000人もの女性ファンたちが羽田空港に駆けつけた。マスコミはこの異常な人気を目の当たりにし、メディアで紹介せざるを得なくなった。
田代親世(たしろ・ちかよ)韓流エンターテインメント・ナビゲーター

2004年から巻き起こった爆発的な韓流ブームは「想像していなかった」と振り返る


 実はこの数日前、韓国観光公社が中心となり、田代さんをはじめ韓流エンタメに携わるマスコミの専門家が集められていた。目的は、本格的なブームになる前に「韓流」という言葉の呼び方を統一することだった。  もともと「韓流」という言葉は中国の新聞社が使ったのがはじまりだったが、中国読みでは「ハンリウ」、日本語では「カンリュウ」で、当時呼び方が統一されていなかった。韓国語読みの「ハン」と日本語読みの「リュウ」を合体させた「ハンリュウ」であれば、韓国・中国でも音として通じやすい。日韓両方の呼び名を合体させることで、日韓交流という意味でもピッタリだと意見がまとまった。そこから多くのメディアが「韓流(ハンリュウ)」という言葉を使い、結果的に言葉の統一がブームの定着に一躍買った形になった。  「当時の爆発的な韓流ブームには驚きましたが、私が好きな韓流コンテンツをようやく多くの人が見てくれた!という喜びが大きかったですね。それまで字幕がついていない韓国ドラマも多く、見るのに苦労していたんですよ。人気が出たことで、これからはもっと多くの作品を日本でも気軽に見られるようになる、と思うと嬉しかったですね」

エンタメ好きな1人として、魅力を“ナビゲート”する

おすすめの記事