亜矢子さんショート

2020年、コロナ禍をきっかけに会社員を辞め、フリーランスになることを決めました。

新卒でデジタル広告事業を手掛ける企業に入社し、営業として7年半勤務。仕事は楽しく、営業マネージャーまで務めたのですが、「このまま私は営業をやり続けるのかな?」と将来のキャリアに疑問を感じるようになりました。
営業は向いているかもしれないけれど、自分がすごくやりたい仕事ではなかったのです。

じゃあ、自分は何が好きなのだろう? と考えたときに思い浮かんだのは、「場」をつくること。週末は人を呼んでホームパーティをしたり、仲間と一緒に料理教室を開いたりしていて、人をもてなしたり、楽しんでもらうことが好きでした。

いまでいう「コミュニティ」づくりを仕事にしたいと考えて、30代を前に会社を退職、フリーランスになりました。しかし、当時の私には人脈もなければ知識もない。場をつくるといっても、マネタイズする方法もわからないし、相談できる人もいませんでした。試行錯誤したもののうまくいかず、「これは趣味でやったほうがいいんだな」と思い直し、会社員に戻ることにしました。

そこからはいくつかの会社を転々とし、チームマネジメントをしたり、業務改善に携わったり、WEBメディアの進行管理やEC事業の立ち上げをしたり。どれもそれなりにやりこなすものの、何か専門スキルを持っているわけではない自分。30代半ばくらいから、「私は肩書き迷子だな」と悩むようになりました。会社から言われたことを何でも引き受ける何でも屋さんになっていて、自分は何者なのかを言えないことがずっとコンプレックスでした。

組織の調整役を任されることが多く、極端な言い方をすれば、いいように使われてきた。そういう立場にも飽きてしまって、「組織ではなく、1人でやってみたい」と考えるようになります。そうして2020年10月、会社員を辞めて、もう一度フリーランスになることを決めました。
ただ、何をするかは決めていませんでした。あったのは、「20代の頃とは違うから、きっと何とかなる」という根拠のない自信だけ。
当初は自分を理解する時間を作ろうと考えて、いろんな人に会ったり、ワークショップに参加したり、「ストレングスファインダー」(才能診断)をしたりしながら、ひたすら自己分析。自分自身と向き合ううちに、コンプレックスだった器用貧乏も、「何をやっても及第点以上ってすごくない?」とポジティブに捉えることができるようになりました。

自己分析のプロセスの中で銀座のスナック「デルソーレ」を経営するママと出会い、そこで月1ママを始めたり、大好きな麻雀イベントを企画したり、ずっと望んでいた「場づくり」に近づくことができています。また、ご縁があり企業の業務改善をお手伝いする過程で、資料作成に必要な「物事を整理してわかりやすく伝える」などの「自身の得意」が明確になりました。
企業のサービス概要や、マニュアル、ホワイトペーパーの作成をメインで請け負うようになり、最近では、WEBサイト、動画の作成などまで広がり、フリーランスとして生活できるようになりました。

人生2度目のフリーランスへの転身。一度目の失敗や、会社員として積み重ねてきた経験が、いまに生かされていると感じます。今後は、場づくりをより深めていくとともに、自分の得意なことを伝えていく仕事にも挑戦していきたいです。

(構成/尾越まり恵)

高橋亜矢子 Instagram

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