2007年、33歳のときに自己破産。そこから10年かけて再度起業しようと決めました。
父親が遊び人のギャンブラーで5歳のときに両親が離婚。父はすぐに再婚して血縁関係のない姉が2人できました。そんな姉の結婚式のためにと義母が貯金していた結婚式費用300万円を父がギャンブルの返済に充てたことで義母はうつ状態に。義母は寝込み、病床から起きては父親と大喧嘩してまた寝込むの繰り返しです。「悪魔の子はいずれ悪魔になる」と、義母もまったく余裕がなかったのでしょう、「いらない子」と言われて育ちました。自宅に帰っても「おかえりなさい」の一言もない家庭。そんな居場所のない日常に嫌気が差し、どうしたら独立できるのか考えた私は、小学5年生でホームセンターの面接へ。「お金はいりません。寝るところと食事だけ与えてください」と懇願しました。でも当然警察官の手で自宅に戻されてしまいます。当時はその意味がわからず、警察官のことを憎みました。
中学校で新聞配達のアルバイトを開始。仕事をすれば必要とされて、しかもお金までもらえることがうれしくて、高校に入ると朝は喫茶店、昼は中華料理、夜は居酒屋で働きつめ、1カ月で30万円稼ぐ高校時代を過ごしました。ところが在学中に喫茶店の店長と結婚して高校を中退した直後に離婚。20歳で6万円の養育費を支払うことになってしまいました。
そこで自己啓発の教材販売の会社を立ち上げますがうまくいかず、結局22歳で400万円の借金を背負ってその仕事は終わりました。そこからは借金返済のために引っ越し業者や水商売など何でもやりました。この頃プライベートでも2度目の結婚をしますが、こちらもあえなく離婚。「27歳になったら東京で事業を起こす」と決めて、実際に27歳のときに「カネなし、コネなし、人脈なし」の1人起業を実現。その後、3度目の結婚をして子どもも生まれます。NTTやシャープなどの事務機器の正規代理店として7年間奮闘しましたが、うまくITの波に乗れずに挫折。33歳、目の前にあったのは4000万円の借金でした。
このとき新潟の父親のお墓に行き、墓前で初めてオヤジに頭を下げました。「オヤジみたいにはならない」「愚痴ばっかりのサラリーマンなんて絶対ごめんだ」と悪態をついて生きてきたけれど、莫大な借金を抱えて家族もろくに養えず、何も成し遂げることができていない現状は憎んでいたはずの父親の姿と同じだったのです。
――どんなに努力しても結局カエルの子はカエルだった。ごめんなさい。
1億円の生命保険と引き換えに自殺しようかとも考えましたが、紆余曲折あり、何とか踏みとどまり自宅へ。しかし何事にも集中できず車の運転もまともにできない状態が続き、病院へ行くと統合失調症と診断されました。思い返せば……あの義母と同じです。
同級生が遊んでいるときも勉強し、ここまで寝ずに働いて懸命に生きてきたのに!
人生の結末がこれ――?
愕然としました。その瞬間湧き上がったのは、怒り。処方されて持って帰ってきた膨大な量の薬をゴミ箱に叩きつけました。
――冗談じゃねぇ!!
そう思いました。10年かけて、もう一度社長になってやる!
このとき、求人で申し込んだのは新聞の販売代理店。新聞の新規契約をフルコミッションで取ってくる仕事でしたが、こちらもうまくいきません。この頃の日記を読み返すと「バカになれ」と書いていました。バカだと思っている人は「バカになれ」とは書きません。どこかで「社長をやっていた自分は偉い」と思う自分がいて、まだ賢いつもりでいたんだと気が付いたのです。高校も出ていない、起業も結婚もうまくいかない。自分なんて人様に迷惑をかけてばかりで家族の生活費もろくに払えない、はねっかえりのくそ野郎じゃねぇか、と痛感しました。この日から、「俺はバカなんだ」と日記に綴るようになりました。すると面白いぐらい契約が取れるようになり、年収は1000万円に。個人契約だけで通算1億円の売り上げにつながりました。「何だか一生懸命だから買ってあげよう」とか「届いて損するものではないから、そんなに言うなら取ってみるか」と思っていただけたのです。
40歳のときに起こした会社で12年目。朝日新聞の販売代理店業を営んでいます。学歴もありませんし、転職経験も10回以上、結婚も起業も3度目です。失敗なんていくらでもすればいい。100万円や200万円の借金なんてどうとでもなります。今までには親ガチャ、会社ガチャ、借金など、いろんな苦しみを抱えて当社にやってきて人生を変えた人たちがいます。自分自身がさんざん苦しんできたので、そういうつらさはよくわかります。これからどうやって再起しようか?もう諦めるかしかないか?そう悩んでいる人には、「一度うちにおいで」と言ってあげたいですね。
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