私の決断は、僧侶を辞め、鍼灸師になったことです。
親は会社員で無宗教。高校在学中に祖父が亡くなったときにはじめて僧侶を目にしたぐらいだったので、あまり宗教には関心のない家庭で育ちました。高校1年のときに両親が離婚し、父親と私と弟の男3人の生活が始まりました。当時自分はサッカーにのめり込んでおり、県大会でベスト8に入るほどの実力校に所属していましたが、忙しい父やまだ中学生だった弟の代わりに食事の準備や洗濯といった家事をこなさなければいけない毎日の中で、勉強がどんどん疎かになっていきました。部活と家事だけで精一杯だったのです。
高校卒業時には行ける大学もなく、浪人生活がスタート。しかし予備校に通っていたわけでもないので勉強には気合いが入らず、週5日勤務していた植木屋のアルバイトに熱中していきました。気が付けば12月。「受験はどうするんだっけ……?」という状況で、勉強もダメ、スポーツもプロを目指すほどではない、植木屋になりたいわけでもないという中途半端な自分が何となく許せなくなりました。
――あとは心の世界で勝負するしかない!
なぜかそう考えたのでした。心を鍛えるのに最も適しているのは寺に違いない。それも最も厳しいと言われているのは禅宗だと考えて、本山に乗り込んでいきました。ところが本山で修行ができるのは僧侶資格を持つ者だけであることを聞かされ、まずは紹介された地元神奈川県横須賀市のお寺に弟子入りを果たしました。
着付けの仕方も知らない状態でしたが1カ月ほど最低限の修行と得度式(とくどしき)を終え、改めて本山に戻ってきました。建物の前で修行の手続きを始めるのですが、あらんかぎりの声で呼んでも誰も出てきてはくれません。1~2時間ほど待っているとようやく威圧的に人が出てきて「何しに来た」と問答が始まります。「修行しにまいりました」と答えても「そんなことはよそでもできる」と相手にしてもらえません。それを乗り越えるとようやく中に入れてもらえますが、今度は正座して待たされます。当時正座は5分もできなかったので、3時間経過する頃にはしびれを通り越して足に激痛が走っていました。しかし、ぴくりとも動こうものなら怒鳴られる。とんでもないところに来てしまったと思いましたが、なぜか性格的に一度始めたことを辞めるということがなかなかできず、そのまま修行が始まっていきました。
恐怖とつらさを1日1日耐える。何とかその日を乗り越えることを考える。そんな修行の日々も2年経つ頃には仏教学・宗教学の魅力にのめり込み、もっと学びたいと考えるように。駒澤大学の仏教学部へ入学し、その後、大学院に併設されている研究所で3年、アドバンスコースでさらに3年勉強しました。
そんなある日、プライベートでツーリングしている最中にバイク事故に遭遇。左足がちぎれかけて大学病院に緊急搬送。7カ月間入院しました。事故直後、棒のようにしか動かなかった足は、毎日のリハビリのおかげで少しずつ緩解して90度ほど曲げることができるようになりましたが、そこで医師からは「このあたりがリハビリの限界かな」と言われました。そんな最中、知人の鍼灸師が「ちょっと診てあげようか」と施術してくれたのですが、このたった1回の施術が1年間のリハビリに匹敵するほどの変化があり衝撃を受けました。
これは一体何だろう!? その好奇心により、僧侶を破門される羽目になりながらも鍼灸師の学校へ進学。家にも寺にも帰れなかったので友人の家を泊まり歩いたり公園で野宿したりする生活を続けながら何とか学校に進学し、3年通ったのちに卒業。鍼灸師資格を取得して、株式会社健生(けんせい)の直営店舗で働き始めました。
現在は院長として施術と施設の運営を手掛けていますが、あのときの衝撃と感動、そして喜びを提供できる鍼灸師であるべく、いまも鍼灸の勉強と研究は続いています。患者さんにとって奇跡を与えてくれるような「ゴッドハンド」と呼ばれる存在になれたら。そんな思いとともに、これからも施術をしていきたいと思います。