田所憲一

内装大工から断熱材メーカーのフランチャイズFC本部に転職したこと、それが私の決断です

幼い頃から手先が器用で、紙飛行機クラブに所属して特殊な紙飛行機作りに専念したり、車のプラモデルを作ったりするのが好きな子どもでした。図画工作や技術の授業が得意で、高校生の頃からは機械好きが高じてバイク乗りに。大学は一浪の末、学費の安かった都立大学機械工学科の夜学に進みました。大型バイクの免許も取得し、KAWASAKIのバイクに乗りながら外車のディーラーで準社員として働き、夜は学業に励みました。

卒業後は大手電機メーカーグループでシステムエンジニアとして勤務しましたが、当時はグループ内で営業していれば誰でもシステムを販売できたため、たいしたスキルも知識もいりませんでした。次第に「自分の存在意義は何だろう?」と疑問に感じるようになり、友人に自分の仕事をうまく説明できないのが嫌で、転職を決意。ある住宅メーカーが若手育成のために開設していた大工学校に2年通った後、個人事業主として田所大工を立ち上げ、その住宅メーカー専属の内装大工として独立しました。

ところがそれもまた苦難の道でした。一口に大工と言っても腕前はピンキリです。同じ現場でも1階と2階を別の大工が担当すると、フロアごとにできは大きく異なります。安く早くが重視される現場のため、工場から納品される材料も粗悪品が多く、大工作業も、まず他人のやり直し作業から。お客様に嘘をつくのも嫌でしたし、「この家が欲しいか?」と自問したとき、「ほしくない」と直感的に思ってしまう日々でした。

3年間の自営業期間を経てバブル崩壊の憂き目にも遭い、30歳を前に転職を考え始めるように。このとき欲しい家を探して読んでいた雑誌で見かけたのが、ある太陽熱利用ソーラーシステムのFC本部が手がけていた木造打ちっ放しの家でした。

――ここならちゃんとした家造りができる!

早速そのFC事業部の面接を希望しましたが、敢えなく落選。それでも諦めきれなかった私は、二級建築士の資格を取得したり直筆のお手紙を書いたりするなど3度にわたって直談判に及びました。すると当時の社長から「君か、田所というしつこい男は!笑」と意気込みを買われ、何とかそのFC事業部に採用してもらうことができたのでした。

転職していちばんよかったことは、現場で抱えていた問題を仕組みとして改善する側に回れたこと。「この条件ならこの性能が出ます」「それを守らなければ性能は担保できません」とお客様にも正直にお話できるようになったのです。加えて、現場にいた頃は「何とかする」ことが自分の仕事だと思いこんでいましたが、転職後は「何とかしなくてすむ仕組みをつくること」が自分の使命となり、やりがいも感じました。

その後も紆余曲折あり、現在は30代でお世話になったFCの会員企業で安成工務店の会長を務める安成信次氏にお引き立ていただき、安成工務店のグループ会社である株式会社デコスで企画部長兼広報として働いています。

思えば、大学受験失敗に始まり、オーストラリアに旅行に行けば車上荒らしに遭って一文無しに。就職試験も失敗、自営業も失敗、運命の会社だと思ったFC事業部には2度も採用を見送られ、その後のいろいろも含めれば転職回数は8回にも及びます。まさに失敗だらけの人生。それでもその都度自分の中でしっかり考え、真摯に向き合ってきた結果、いまにつながっています。やりがいも感じながら生き生きと働くことができているのは、その失敗があればこそ。「よりよくする」ための方法を模索してたどり着いたいま、住宅や木造などに守備範囲を固定することなく、さまざまな改善に尽力していきたいと思います。


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