川野健悟

24歳のとき、造船会社を退職し、ゲームプランナーになることを決めました。

昔からゲームが好きで、はじめてゲームで遊んだのは父が遊んでいたファイナルファンタジー(FF)5 をプレイした5歳のときでした。コマンドのカタカナが読めず、唯一ひらがなだった「たたかう」だけを選択して何とか戦っていたことを覚えています。

高校卒業後は職業訓練校へ。手に職をつければ食いっぱぐれることはないはず、と工業系の道へ進みました。構造物鉄鋼科に進学し、構造物の溶接を扱う基礎資格を取得。卒業後は溶接の技術も生かせる広島県の造船会社に勤務しました。構造物の中でも最も大きい船舶を扱うことは面白く、実際に船を海に浮かべる進水式の際には「こんなに大きなものを作っていたんだ!」と大きなやりがいも覚えました。

ところが冬休みに実家の宮崎県に帰ってバドミントン部時代の友人と同窓会をしてみると、「1つでもいいからロケットに携わる仕事がしたい」と語っていた友人が実際にロケットの部品製造の職場で楽しそうに仕事をしていることを聞き、うらやましく思いました。自分はどこか打算的に生きてきたのではないか。造船会社で働き続けるビジョンも見えませんでした。もっと他にやりたいことがあるのではないかと思ったとき、思い浮かんだのが幼い頃から好きだったゲームでした。

24歳で造船会社を退職し、上京。新幹線のレールを敷く仕事をしながら、ゲーム会社を探すための就職活動を始めました。200~300社ほどの書類を書いた中で、ほとんどの企業は書類選考で落選。面接を受けられたのは3社だけでした。「肉体系の仕事をしていたので、何でもできます! 気合いがあります!」と熱意を伝えたところ、時給1100円 のアルバイトからでしたが、ゲームプランナーとしての採用が決まりました。

最初はゲームのデバッカー(バグのチェック)の仕事から始めて少しずつ先輩プランナーの仕事を手伝わせてもらえるようになり、やがてプランナーの仕事を覚えて正社員へ。2年ほど勤めた後、ゲームが会社の1事業になっている会社ではなく、ゲームを生業とするゲーム会社に行きたい! と考えるようになり、アイディスへ転職。 現在はゲーム内のキャラクターや装備の設計、新機能や改善機能の開発などを手掛けています。

ゲームの仕事は最高です! よく改修案を提案してくださる ユーザー様がいらっしゃる のですが、その方の案を超えるものを実現できたときに「自分の改修案を超えてきた! 最高だ!」とSNSの書き込みを見たときは本当にうれしかったです。自分の仕事の結果をダイレクトに知ることのできる貴重な仕事で、とてもやりがいがあります。まったくの異業種へゼロからの挑戦でしたが、本当にいまの仕事を選んでよかった。心からそう思っています。


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