加藤まり子さん

イタリア政府公認 フィレンツェ観光ガイド
加藤まり子さん

37歳で単身イタリアに渡ったまり子さん。ビザの関係で数回の帰国を挟みながら、トータル3年間をフィレンツェで過ごした。知り合いがいなくて孤独だったり、貯金を使い果たして生活費に苦しんだり、海外生活には苦労もあった。しかし、滞在期間中にイタリア政府公認の観光ガイドの資格を取得し、それがいまのまり子さんの生き方につながっている。最終回となる今回は、まり子さんがイタリアでどのような生活を送ったのか、また10年前の決断を振り返り、いまどう思っているのか、話を聞いた。

 2014年9月末、まり子さんはイタリア・フィレンツェの地に降り立った。

 「来た! という感じでしたね。やっと来られた、と思いました」

 フィレンツェでは、南米やフランス出身の同居人とともにルームシェアをして暮らした。
 「最初はイタリア語がまったくわからなかったので、日常生活のちょっとしたことに戸惑っていました。例えば、イタリアのスーパーでは、野菜が山盛りに置かれていて、客が自分でビニール手袋をはめて袋に入れて量り、ラベルを貼ってレジに持っていくんですね。そういう小さなことがわからないんですよ。現地でのビザの申請も全部イタリア語なので、1つ1つ辞書を引いて調べながら行いました」

 知り合いがほとんどいない異国の地で、しばらくは孤独との戦いだったという。まだ、いまほどにはオンライン通話も発達していない時代だ。
 「1人でイタリア国内のいろんな場所に観光に行くんですが、日本と違って1人で入れるお店もあんまりなかったりするので、しばらくは心細い思いをしました」

 そもそもイタリアに行きたいと考えたきっかけは、「観光の延長」だとまり子さんは言う。
「前にイタリアに旅行したときは1週間だったので、見たいものを全部見ることができなかったんですよね。もっと時間をかけてゆっくり見たいなと思ったんです」
 最初は学生ビザで半年間。イタリア語を学ぶ語学学校には、オーストラリア、カナダ、アメリカ、韓国、ロシアなど、世界中から学生が集まっていた。

 ビザを延長しながら、気が付けば1年半が経っていた。2016年5月、ここで日本に帰国するか、滞在を延長するか、まり子さんは真剣に悩むことになる。

資金が底をつく……それでもイタリアに残りたい!

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