
私の決断は40歳のときに独立し、モノづくりからヒトづくりへの転換を決めたことです。
両親ともに名門校出身ということもあり、小学生のころから勉強は得意で、塾の成績では1位になることもありました。ところが小学校6年生のときに交通事故に遭ったことなどもあり、欠席日数の関係で受験はうまくいきませんでした。受験に失敗したことで少し勉強から遠ざかることに。そんな中、高校時代に通った駿台予備校の夏期講習で、数学の人気講師だった秋山仁先生(現・駿台予備校名誉校長)に出会います。とある問題で、「どのように考えたか、3つの選択肢から選んで手を挙げるように」と言われました。私は①に手を挙げましたが、①を選んだのはクラスで私1人。他の全員が③の考え方だったので間違ったうえに注目を浴びて恥ずかしいと思っていましたが、先生は「①のように考えられた人は1人しかいないの?」と自分の考え方を支持してくださいました。答えだけでなく思考プロセスを大切にしてくれたことがうれしく、「自分で考える子どもを育てる先生になりたい」と思うようになりました。
大学は東京学芸大学へ進学し、中高の数学教員免許を取得。しかし大学4年生の教育実習に訪れたとき、とある生徒に「どうせ先生にしかなれないくせに」と言われたことがターニングポイントになりました。22~23歳は社会でいえばまだまだひよっこ。それなのに子どもたちの前で先生然とできるのも言われてみれば確かに不思議で、「彼の言う通り、いずれ先生になるにしても社会を知っておくことは必要だな」――社会を知らないと、教科が教えられても人としての深みは教えられないかもしれない、と感じました。
卒業後はご縁のある教授が所属していた電気通信大学大学院へ。教育にAIをからめる研究に注力し、自動作曲に関する修士論文を書いて卒業。新卒でソニーに入社し、花形のオーディオ事業部へ。同期の中では出世街道を進んでいた方で、労働組合では副執行委員長まで務めました。しかし音楽配信(着うた、着メロ)の時代を経た後37~38歳になるころには、PCやスマホで何でもできる時代となり、単体の音響機器を買う人が激減。オーディオ事業部に新規開発部門が不要となってしまったため部署ごと解散。数百人のメンバーも散り散りになってしまいました。メンバーが2人しかいない部署に転籍するも、労働組合の仕事もこなすのは大変で、24時まで本業の仕事をして朝4時まで組合の仕事をするような生活に。他部署への異動を希望するも「新たなアイデアを出す人ではなく、指示に忠実な部下がほしい」という組織に運悪く出会ったことで、「ソニーってそんな会社だったっけ?」と心身ともに追い詰められ、休職することとなりました。
この頃、頭蓋骨が左右1㎝以上ずれていた関係でひどい頭痛にも悩まされていたため、半信半疑のまま「ゴッドハンド」と呼ばれる整体師の施術を受けてみることに。すると心と体の不調が一気に改善し、体にエネルギーがみなぎるのを感じました。それだけでなく、とんでもない覚醒体験が訪れ、宇宙の仕組みがすべてわかったような感覚になり、実際に知能を測ってみるとIQ185もあることがわかりました。
そこからの行動は早く、早々に会社に退職の意向を伝えると、6カ月で整体の技術を習得して独立開業。速読教室スクールのフランチャイズ事業、世の中の仕組みを正しく知るオリジナルの法則学「RAKUZAN®(らくざん)」と合わせて「からだ」「脳」「思考」を整える3事業を立ち上げ、モノづくりからヒトづくりへの転換を決めたのでした。
大企業のサラリーマン時代とは違って何の後ろ盾もない中で事業融資を受けたり店舗の契約をしたりするのは大変でしたが、自分の強みを生かしてやりたい仕事ができていること、お客様の変化を間近で見られることに大きな喜びを感じます。新しくリリースしたIQトレーニング講座「ExpIQ(エクスピーク)」では、これまで不可能といわれてきたIQを後天的に高め、変化を読み、先を見抜く力を養うプログラムも提供しています。
今後はIQ検定協会の立ち上げや海外でのサービス提供なども進めていき、IQは鍛えて伸ばせることを世界に伝え、パラダイムシフトを起こしていけたらと思っています。
(構成/岸 のぞみ)株式会社バランス&チューニング ホームぺージ
著書『記憶の出し入れがスムーズになる 衰え知らずの脳トレ習慣』 AMAZON








