わたしの決断は、子どもをベトナムで育てると決めたことです。
わたしはベトナム出身で、ハノイ市近郊の街・ハイズオン市で生まれ育ちました。小学校から高校までをその街で過ごし、大学に進学するまでは特に遠くの街や国に出ていきたいと思ったこともありませんでした。街を出て、ハノイ工業大学の自動車技術学科で自動車技術について学んだことをきっかけに、ベトナム国内でも場所によってさまざまな文化や価値観があることを知り、「海外の人はどうなんだろう?」と考えるようになりました。自動車技術を生かせる場所といえば日本だと考え、半年間日本語センターで日本語を勉強したのち、22歳で来日しました。
日本語学校で2年勉強したのち、自動車関連の仕事を探しましたが、日本国内で自動車技術について学んでいないと就職は難しいと知り、断念。観光ビジネスについて学べる専門学校に2年通ったのち、ベトナム人留学生にアルバイト先を紹介する人材派遣会社に就職しました。仕事面である程度経験が積めたと感じたわたしは、キャリアアップを図るとともに、「働き先を紹介して終わり」の派遣会社ではなく、日本で生活するベトナム人技能実習生たちの生活のサポートをする仕事がしたいと考え、2020年に現在のベスト介護事業協同組合に通訳として転職を決めました。
プライベートでは2017年に韓国焼肉の居酒屋でアルバイトをしていた4歳年下のベトナム人女性と出会い、2年後の2019年に結婚。2024年冬、36歳のときに第1子が生まれました。出産を前に日本に留まるかベトナムに帰るか迷いましたが、日本の医療や福祉制度が手厚く、普段から思いやりを持って接する日本人の姿に心を打たれ、妻とも相談して日本での出産を決意。日本語が得意ではない妻に寄り添い、有休を使って病院通いも積極的に行いました。
このまま日本で子どもを育てたい気持ちもありましたが、自分1人の収入で妻と子を養うのは経済的に難しく、ベトナムの両親はいずれも元気で孫の顔を見せると喜ぶことから、子どもが1歳になるタイミングでベトナムの両親のもとに預けることに決めました。さみしい気持ちもありますが、その分しっかり日本で働き、半年に1度は会いに行こうと考えたのです。
今後は技能実習生の生活サポートだけでなく人材教育にも挑戦していきたいですし、日本とベトナムを繋ぐ架け橋にもなっていきたい。そのために、これからも通訳としての語学力とともにマネジメント力も磨きながら頑張っていきたいと思います。