樋口さんショート

小倉昭和館は、北九州市唯一の単館映画館です。24歳のとき、母の樋口智己が館主を務めるこの映画館で働くことを決めました。

昭和館の創業は1939年。母方の曽祖父が「市民を幸せにしたい」と、小倉の旦過市場(たんがいちば)の一角でスタートしました。
僕は福岡市で生まれ、小学5年生からは大野城市へ。北九州は母の実家として、夏休みなどに祖父母に会いに行く場所でした。
昭和館で見た映画で記憶に残っているのはゴジラシリーズ。僕が子どもの頃の昭和館はお客さんがたくさんいて、子ども心に「おじいちゃん、すごいな」と思っていました。

僕が大学生になる直前に母が3代目として昭和館を継ぐことになり、ほどなく僕は関西の大学に進学し、そのまま福祉関係の会社に就職します。関西を選んだのは、親元を離れて生活してみたかったから。一人暮らしをしながら介護施設で働く毎日は、とても充実していて楽しかった。

数年が経ったある日、夜勤の休憩時間中に携帯電話を見ると、母親から数回にわたる着信が残っていました。
――こんな夜中に何だろう? 俺、何かしたかな?
不思議に思って折り返すと、母が泣きながら言うのです。
「もう、ダメかもしれん……」
いつも元気でパワフルな母がこんな弱音を吐くのは、はじめてのことでした。大型映画館が主流となり、単館映画館の経営が厳しいことは僕にもよくわかっていました。赤字続きだった昭和館を母の手腕で黒字に立て直したものの、母にしかわからない苦労があったのでしょう。

――母を支えたい!
後を継ぐ覚悟があったわけではありません。ただ、近くで母を助けたいという一心で、介護の仕事を辞め、昭和館で働くことを決めました。

雑務からスタートし、映写を学ぶなど映画館の仕事を少しずつこなせるようになっていきました。映画館の仕事は、楽しいことばかりではありません。正直、関西に残っていればしなくてすんだ苦労もあったと思います。それでも、映画を観たあとのお客様の笑顔を見られる瞬間は、何物にも代えがたい喜びです。

昭和館で働き始めて4年目の2022年8月、旦過市場の火災で、昭和館は完全焼失してしまいました。大変悲しい出来事ではありましたが、改めて昭和館が多くの人に愛されていることを実感できました。いまは12月の再建に向けて準備を進めているところです。新・昭和館も変わらず愛してもらえるように、これからも頑張っていきます。

※単館映画館:複数のスクリーンを持つシネコンとは違い、大手配給会社などに属さない映画館。ミニシアター。

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