曽我部貴司

41歳の春、自分のキャリアを捨ててシングルファーザーになる! と決めました。

「フランス語を学びたい!」と慶應義塾大学ではフランス文学を専攻。研究者になるために留学でフランスを訪れた際、現地の料理に興味を持つようになりました。大学卒業後は料理学校に進学し、20代は小さな個人経営のフレンチレストランで調理人として働きました。

プライベートでは6歳年上の女性と知り合い、25歳で結婚。29歳のときに第1子、33歳のときに第2子に恵まれました。子どもを授かったこともあり、激務で薄給だったフレンチレストランを辞め、妻の実家に近い千葉県成田市に引っ越しを決意。ANAの機内食の製造現場に勤め、のちにレシピの考案や、海外での技術指導などにも携わりました。

ところが39歳になる頃、妻が体調不良となり、それがきっかけで夫婦仲がこじれ、うまくコミュニケーションが取れなくなりました。その間、私は大手外食チェーンで海外出店のサポートをすべく、ブランド構築・メニュー考案者として新たな職場に勤務をはじめていたところでした。

2015年3月、妻の3度目の家出が発覚。何とか修復の道を探していましたが、難しいと判断し、、離婚を決意。上の子が中学2年生、下の子が小学4年生になるときのことです。子どもたちに話をしてみると、「お父さんはよくやってるよ、俺のことは心配しないで」と言ってくれましたが、その目には涙が浮かんでいました。私はいたたまれない気持ちになり、「お父さんがふがいなくてごめんな。お前たちからお母さんを奪うつもりはないし、お母さんがいないからといって不自由させないよう全力を傾けるから」と言ってぎゅっと抱きしめました。

そこからは、仕事よりも子どもを第一優先に考えた日々を送るようになりました。通勤時間は片道約2時間。18時の定時になると帰宅準備をして、急いで自宅に戻ります。睡眠時間4〜5時間の多忙を極める中、週末の部活のお弁当作りだけは欠かしませんでした。子どもが高校生になるとお弁当作りは毎日の仕事になりましたが、機内食のメニューを調理してきた経験を生かしたお弁当を作り続けました。すると子どもたちも喜んで、「おまえの父ちゃんすごいなって言われたよ」と笑顔で報告してくれます。「いい父親だ」と周囲のママや教師から言われましたが、「挑戦する姿が大事だ」と子どもたちに言いながら、自分はどうなんだろう?とふと疑問を覚えました。

彼らが学校を卒業してしまったら、子離れできないかもしれない!

いまさら会社で出世街道といっても、既に年齢は50歳。いまさら難しいだろうと思いました。そんな頃、考え始めていたのがキッチンカー事業の立ち上げです。まだぼんやりとした構想を思い描いていただけだったのですが、決断のきっかけをくれたのは当時再婚したばかりだったいまの妻でした。彼女の後押しもあって起業を決意。「日常密着!」を謳(うた)い、豚のしょうが焼きで勝負することに決めました。地産地消でもあり、生産者の皆さんとともに進めることに配慮しながら、きのこ風味、紫キャベツのマリネやキャロットラペなどフレンチの知識も生かしています。

まだ立ち上げたばかりでどうなるかわかりませんが、自分にはどうしようもないことがたくさん起きるのが人生です。その上で、「自分はどうしたいのか」「いま、何をすべきか」を大事にしていきたい。これからも挑戦することに貪欲に前向きに生きていきたいと思います。


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