津野麻亜邪さん

株式会社バルセロナ 取締役CHO(最高人事責任者) 津野麻亜邪

札幌すすきのの「ニュークラブ」を運営する株式会社バルセロナで、人事部門を取り仕切る津野麻亜耶さん。「夜の店で働く女性たちのマイナスイメージを払拭したい」という強い思いの背景には、自身の生い立ちが大きく影響している。第2回では、麻亜耶さんの生い立ちや結婚生活、母親としての顔に迫る。

女優になる夢を断念、高卒認定試験を受けて大学へ

 東京都調布市で生まれ育った麻亜耶さんは、2人の兄を持つ3人兄妹の末っ子。おとなしく聞き分けのいい子どもで、「周囲の空気を読みながら、『いい子』と言われることを楽しみにしていた」と話す。
 兄たちにはかわいがられたものの、小学4年生のときに両親が離婚。子どもの頃、家庭内ではケンカが絶えず、殺伐とした雰囲気だったという。離婚後は母親が女手1つで3人の子どもを育てたため、経済的に裕福とは言えず、10代は苦労も多かった。

 小学校高学年から女優を目指し、事務所に所属しながら演劇の稽古に通った。
 「母親が経済的・精神的に自立できていないために父親から支配されているのを見ていたので、子ども心に、女性は自立しなければ誰かに人生を奪われてしまうんだと思ったんです。それで、子役として活動すればお金をもらえる、女優になろう、と思いました」

 早く大人になりたいと考えていた麻亜耶さん。演劇の稽古があったことや、クラスメイトとあまり馴染めなかったことから、小学5年生頃から学校を休みがちに。勉強は好きだったため、自ら望んで都立高校に進学するものの、勉強の意味を見出せなくなり1年で中退。そこからは演劇に力を入れ、稽古をしてオーディションを受け続けたが、なかなか結果は出なかった。

 「この業界で成功する人は本当に一握りです。それは、すごい才能に恵まれた人か、貧乏でもこの世界が好きだからやり続ける人。私はそこまでの才能があるわけでもなければ、草を食ってでも演劇をやりたいという覚悟があったわけでもなかったんです」

 ちょうどその頃、母親が再婚する。「いつまでも親に依存しているわけにもいかない。この先社会に出て働くのに、多少の学歴は持っていたほうがいい」と考え、高卒認定試験を受け、早稲田大学の文化構想学部に進学した。予備校や大学の授業料はすべてアルバイトをして麻亜耶さんが払った。

 「大学を受験するときは、高校時代の同級生に『学校にも来ていないのに、受かるわけがない』とバカにされたんですよ。でも、私は合格して喜んでいる自分の姿が想像できたから、『絶対にやる』と決めて勉強して、自分が行きたかった学部の合格を勝ち取りました。これは、自分が選んだことを自分で正解にする、という大きな経験になりました。
 それまでは不登校を繰り返し、演劇も途中で辞めるなど、ずっとやり切ることができずにいたので、自分を信じるという礎をはじめてつくれた経験でした」

20代前半、周囲はみんな敵だと思っていた

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