社会人3年目、25歳のときに陸上競技を引退すると決めました。
小学生の頃から運動が得意で、小学校1年生から6年生までが同じ距離を走るマラソン大会では1年生のときに6年生に勝ってしまうほどでした。中学校では野球部に所属し、ピッチャーとしてスタメン出場。ところがあるとき「陸上の大会に出場してみないか」と当時の陸上部の監督から打診を受け、午前中の野球の試合を終えたあと、ジュニアオリンピック熊本県大会の1500m走に出場しました。陸上用のスパイクでもない通学用のスニーカーで挑みましたが、2位の選手に0.11秒差で先着し勝利することができました。
このとき感じた「勝つ喜び」から、将来は本格的に陸上競技に取り組みたいと考えるようになり、高校はスポーツ推薦で九州学院高校へ進学。高校時代は疲労骨折や肉離れ、捻挫などケガに次ぐケガの影響でレースに出場できず苦しい時代が続きました。高校2年生のときにインターハイに向けた九州地区合宿に参加した際、青山学院大学の原 晋監督に出会い、「がんばればうちに来れるよ!」と言っていただき、奮起。努力が実り、青山学院大学に進学し、駅伝部に所属することができました。
原監督の指導のもと、大学2年生のときに全日本大学駅伝7区10位、箱根駅伝4区6位の成績を収めることができました。大学3年生のときには青山学院大学は箱根駅伝で優勝。プロとして生きていく覚悟を決め、22歳でNTT西日本に入社しました。
入社1年目の冬、ニューイヤー駅伝の関西地区予選である関西実業団駅伝でアンカーとなる7区を担当、区間4位を達成しました。社長や周囲からも大きなねぎらいと賞賛を受けるとともに、何とか期待に応えて結果を出せたことにほっとした瞬間でした。その後、東京オリンピックへの出場を目標に掲げて、マラソン練習を始めましたが、長期間にわたってトレーニングを重ねる中で、心身ともに大きな負荷がかかり、次第に陸上を楽しめなくなっていきました。また股関節まわりの筋肉がうまく働かなくなり足に力が入らなくなる「抜け症」という症状にも悩まされ、その結果、ケガも増えていきました。
当たり前にできていたことができなくなる中で、この先どうしていくべきなのか、引退したとしても陸上競技しか経験してこなかった自分に何ができるのか、進路を思い悩むようになりました。恩師である原監督や会社の上長にも相談する中で、「最後は自分自身で決めるしかない、自分自身の人生をグリップしたい」と決心し、2018年、陸上競技を引退することを決めました。
25歳の秋、NTT西日本の営業担当として新たな一歩を踏み出しました。名刺の渡し方やあいさつの仕方、お客様対応の基礎などを学んだのち、顧客リストを渡されての飛び込み営業をこなしていきました。
「PDCAを回せ」と言われてもビジネス用語もわからなければ何をどうすればいいかもわからず、失敗も積み重なり「自分には向いていないかもしれない」と感じ、最初は苦労しました。それでも諦めることなくさまざまな経験を積むうちに、「陸上の大会に向けた練習計画の立案・実行・分析・改善」というサイクルが、営業のPDCAと通じていることに気づき、少しずつ仕事の手応えを感じられるようになりました。
入社9年目となった現在は、総務人事部に所属しグループ全社員の自律的なキャリア形成を支援する研修の企画・運営やキャリア相談窓口の対応などを担当しています。
その中でシンボルチームに所属する現役アスリート向けの研修講師や面談などのキャリア支援を実施しています。自身の経験も踏まえた研修内容は、「元シンボル社員としての話が今後の参考になった」「現役のうちからセカンドキャリアを考える大切さを実感した」といった前向きな声をいただいています。
スポーツで培った力は、競技を離れても必ず生かせると信じています。しかし、将来への不安を抱える選手は少なくありません。引退は、自ら決断することもあれば、ケガや環境の変化により突然訪れることもあります。だからこそ、現役のうちから“その先”について考える機会を持つことが大切だと自身の経験からも感じています。
今後は社内での取り組みにとどまらず、スポーツ選手のセカンドキャリアを支援する体系的な講義を社外にも展開し、多くの選手が自信を持って新たな一歩を踏み出せるように支援していきたいと考えています。