谷本瑞絵

33歳のときに当時勤めていた会社を辞め、NATO空軍基地で働き始めました。

「アメリカ屋」という電気店を営んでいた私の祖父は、自他ともに認める大の旅行好き。デンマークの陶器の置物や見たことのないオランダのクッキーなど世界中のお土産を買って帰ってきては、旅先でのさまざまな体験を語ってくれました。

ヨーロッパの魅力を語る祖父、「将来のために英語を学び日本の外を見なさい」という叔父と母の教育方針から、中学の夏休みには叔父の駐在先だったカナダに1人ではじめての海外旅行、関西外国語短期大学を卒業後、本場の美しい英語と言われる「赤毛のアン」の英語を身に着けようと再びカナダへ。8カ月間留学しました。

帰国後はさまざまな貿易会社を経て、国際引越会社の横浜支店へヘッドハンティング入社。日本へ、また日本から海外へ引越す駐在員などの引越貨物の輸出入を手配する業務です。そこで担当したあるイギリス人のお客様の引っ越し手配をするうちに親しくなり、「良かったら、横田基地内の自宅に来ませんか」と招待を受けました。電話のみのやり取りだったため、「お客様にも会ってみたいし、一般人が入れない基地も見てみたい!」と好奇心が高まり、伺うことにしたのです。そこはまるでアメリカそのもので、スーパーも病院も学校もある、巨大な街でした。

夕食をいただきながら話を聞くと、そのイギリス人は世界中の米軍基地でのアメリカ車ディーラーであること、横田基地からドイツNATO空軍基地へ職場が変わるとのこと。「よかったら一緒に車を売らないか」と誘われました。電話やメールで引っ越しのやり取りはしていたものの、お会いしたのははじめて。「就労ビザの手配もするし、独立するまで、私たちの家に下宿すればいい」」とご夫婦で親身になってくれました。かねてから海外就職を強く希望していたので、「行きたい!」という気持ちがすぐに溢れました。しかし、いまあるすべてを捨てるという現実に1週間決断を迷い、さらに1週間はさまざまな観点から頭に浮かぶ迷いポイントを記録し冷静な判断に努めました。「せっかくのご縁を大切にしたい!」と考え、ドイツ行きを決断。こうして33歳のとき、私は単身ドイツへと旅立ち、ヨーロッパ最大アメリカ空軍基地にしてNATO空軍本部でもあるラムシュタイン基地に赴き、初めての自動車代理店の仕事に就きました。

当時、世界20か国以上のさまざまな軍人が軍服で行き来する基地内の屋外ショールームで、国別の軍服と階級章を覚え、ペーパードライバーながらもアメリカ車について毎日勉強しました。完全歩合制の自動車販売の世界は過酷で、冬にはマイナス10度にもなる極寒のドイツで、少しでも早くお客様と接点を持って話せるようにとオフィスの外で待機する日々。寒さに震える私に通りすがりにマフラーをかけてくれる人、温かいコーヒーを差し入れてくれる人、また、体温を上げようとショールームの車の音楽ラジオに合わせて踊る私を覚えてくれ、励ましの言葉をかけてくれる人、いろんなやさしさにも触れました。ネイティブには叶わない英語力でありながら、日本で身に着けた礼儀正しい接客術と忍耐力とひたむきな努力から「リトル・サムライ」の愛称を受け、売り上げを伸ばしていきました。

ショールームをよく訪れ、言葉を交わすようになったラトビア空軍大尉が、寒さの中いつも外に立っていた私にある日、帰省の手土産にラトビア発ブランド「ステンダース」のバスアイテムを「これで温まりなさい」とくださったのです。当時ロシアとヨーロッパ中心に80店舗展開していたステンダースのコンセプト、石けんや入浴剤の香り、デザイン、使い心地すべてに魅了された私は、日本での独占販売権を交渉して取得。ドイツから帰国し、日本だけでなくアジア1号店としてお店をオープンすることを決断しました。その後、オリジナルブランド「ラトビア・ヘイズ」を立ち上げ、私のコンセプトに沿い現地生産を開始。日本で唯一のラトビア製バスアイテム専門店へと発展させました。

NATO空軍基地で未経験の仕事をする決断に周囲はとても驚きました。不安を抱えながらも、海外でどれくらい自分が通用するのかを試してみたいという長年の切望をようやく体験でき、大きな自信となりました。ブランド名の「ヘイズ」は英語で「霧」。霧の向こうに何があるかは踏み出さないとわからないけれど、踏み出した人にしか見えない景色がある、という意味を込めました。これからも新しいことに挑戦していきたい。今後は、ラトビアに加え取引国を増やし、また、日本に限らず海外在住のお客様も視野に入れ、一歩踏み出す人を応援するバスアイテムを提供していきたいと思っています。

(構成/岸のぞみ)

ラトビア・ヘイズ ホームページ


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