私の決断は、25歳のとき、ミス・ジャパンへの出場を決めたことです。
幼少期は内気で本を読むのが好きな子どもでした。中学校では学級委員長を務めたり生徒会に参加したりしていましたが、肌が黒くニキビがたくさんあったので、Twitter(現・X)で「BP(ブラックポテト)」と陰口を叩かれていたことを知り、ショックを受けました。容姿に対するコンプレックスが強く、幼い頃の写真は持っていませんし、いまでも見るのが怖いです。
大学卒業後はブランド力に惹かれて大手損害保険会社に就職を決めました。しかし私が配属された部署には、部長以下、部署の全員が言いなりになるような意地悪なベテラン社員が複数いました。
宴会芸で「面白くない」と言われたり、トイレで泣いていると荷物を持ってこられて「もう帰っていいよ」と吐き捨てられたり。2022年に入社し、2023年頃からは会議中に不意に涙が出るなど、会社に行きたくないと強く感じるように。泣きながら母に連絡したところ、「もう何もしなくていいから」と言われ、母から会社に休職の旨を伝えてもらいました。
休職期間がスタートすると、がんばっている同期と自分とのあまりの落差にさらに落ち込むことに。朝昼晩ウーバーイーツで食事を注文しているうちにあっという間に8㎏も太っていました。日本にいてはだめだとベルギーに住む親戚を頼ってすべての連絡を絶ち、欧州を周遊してさまざまな景色を見たりおいしいものを食べたりするなどして気分転換を図りました。中でも印象的だったのは、ノルウェー旅行で見たオーロラ。北半球の僻(へき)地まで行って、オーロラを見られたことで回復への自信にもつながりました。
1年の休職期間を経て復職トレーニングが始まる頃、インスタグラムに流れてきたミス・ジャパンのオーディション広告が目に留まりました。この種のオーディションには受かったことが一度もなかったので「多分無理だろうな」と思っていましたが、なんと書類審査と面接審査に通過。人生の安泰ルートに乗れると思って入った大手損保会社に復職すべきか、ミス・ジャパンに応募して違う人生を歩むべきか。悩みましたが、最終的には退職してミス・ジャパンに挑戦することを決めました。
脂肪を落すために毎日5㎞のウォーキングをし、セイロで蒸した野菜を1日2食食べる生活をスタート。スポーツジムも契約して筋トレも開始し、8月にプロフィール写真を撮影。お披露目会に挑みました。そこにはモデルやアナウンサーたちが勢ぞろいし、一般人では見たことのないようなスタイルやルックスの人たちばかりが参加していました。「このままでは絶対に勝てない。勝負できるとしたら、努力の量だけだ!」と奮起。9月に実施される1週間のプログラム「ビューティーキャンプ」では集合の1時間前に行っていちばん前の席に陣取り、座学では毎回質問をして毎日の様子を欠かさずインスタにアップしていきました。座学やレッスンで教えてもらった腸もみやリンパの流し方、マインドセットなどもしっかりと復習して身に着けました。誰に何を思われてもいい。いちばん頑張っていると思われたい――。その一心でした。
9月9日の最終発表では、それまでの審査に加えてウォーキングのテスト、スピーチ、質疑応答が待っていました。数百人の聴衆がいる中で審査員から「あなたにとっての成功の定義とは何ですか?」と問われ、私は「自分が満足できたかどうかです」と答えました。
「ミス・ジャパンにおいて私は誰よりも努力してきた自負があります。だからこの先の結果がどうであれ、満足できると考えています」
それは心からの本音でした。結果は見事に準グランプリを獲得。これに自信を得た私は転職活動も開始しました。新卒で入った会社を適応障害で、それも1年ちょっとで退職していたため転職には不利でしたが、ミス・ジャパンの準グランプリを獲得したという実績と努力を見せるとその結果を買ってくださる企業もあり、結果的にAI研修・コンサルティングなどを手掛ける現在のアローサル・テクノロジーに就職することができました。
何にも挑戦していなかった頃は他責思考でしたが、いまは「うまくいかないのは自分のせい」と思えるようになり、性格も変わったと感じます。復職の道も正解だったかもしれないけれど、こちらの道は大正解! あのとき決断できてよかったと心から感じています。