久田一男

リノベーション業界での確かな知見を基盤とし、52歳でサウナ事業に特化した新たな会社を起業すると決意しました。

滋賀県東近江市に生まれ育ち、周囲は田んぼばかりで何もなかったので外で遊ぶのは好きではありませんでした。転機となったのは1991年、コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)の創業者である川久保玲氏がパリコレクション(パリコレ)に初参加したときのことです。それまでの常識を覆す黒を基調とした衣装は、ボディラインを無視した穴あき・ほつれなどのデザインでした。西洋式の美とはまったく異なる斬新さで、「黒の衝撃」といわれて世間を席捲(せっけん)していきました。それは私にとっても衝撃的で、洋服の頂点といわれるパリコレで日本人が新しいスタイルを打ち出したことに「すごい! かっこいい!」と感動し、デザインの世界に魅了されることに。あらゆるファッション雑誌に目を通すようになり、大阪モード学園ファッションデザイン科へ進学。卒業後はファッションデザイナーとして独立を果たしました。

服を作って知り合いの店舗で販売してもらっていましたが、デザイナーの仕事1本で食べていくのは簡単ではなく、現場作業のアルバイトをしながら挑戦を続ける日々が始まりました。そんな中、1995年に阪神淡路大震災が発生。30歳で仮設住宅を建てるために神戸で大工となり、現場の技術を学びました。その後、起業し、インテリアデザインへの情熱から建築設計施工・空間プロデュース業へと躍進していきました。

そんな2000年、時は空前のリノベーションブームを迎えます。自宅マンションをDIYでリノベーションしてショールームにしたところ高い評価を受け、会社は40人規模まで拡大。ところが東京で古いマンションを買ってリノベーションして再販するビジネスで内装にこだわり抜いた結果なかなか売れず、会社は倒産という大きな試練を経験します。それでも情熱は衰えず、リノベーションのコンサルティングを軸に再始動。2000年代後半にはリノベーション大手・リノベる株式会社の山下智弘社長に事業計画書を提示し、現在の「リノベる。」ブランドの企画立案とネーミングを手掛け、立ち上げに貢献しました。

その後、「リノベる。」の仕組み化が進む中で「よりデザインの可能性を追求したい」と次なるステージへ進み、建築・空間プロデュースを手掛けるナイン株式会社を2011年に立ち上げました。リノベーション協議会関西支部長なども務め、リノベーション業界の最前線で知見を深める中で、常に胸の内にあったのは「空間を蘇らせたその先に、何を宿らせるか」という問いでした。

そんな中、ブームが始まりつつあったサウナを体験すべく、長野県野尻湖にある「THE サウナ」に足を運ぶことに。スーパー銭湯などで体験する「熱いサウナと冷たい水風呂」を複数セットするようなサウナとは違って、真冬の雪が降りしきる中で外気浴をすると本当に気持ちがよく、「ととのう」価値を実感しました。東京から3~4時間で行ける立地の良さと全然予約の取れない人気具合に「サウナに入るために並ぶ人がこんなにいるのはすごい! 地方コンテンツのチャンスだ!」と確信。古民家を買ってリノベーションし、サウナ付きの宿泊施設を自社展開することを決めました。

2017年9月、52歳のときにサウナイン株式会社を設立。これまでのリノベーション技術を注ぎ込み、全国の古民家・空き家を「禅サウナ別荘シェアリング」へと転換するブランドを展開し始めました。海外のサウナー(サウナー)にも来てほしいので内装を工夫し、茶室のような質素で洗練された仕立てにしています。

サウナを設置するには建築基準法・消防法・公衆浴場法など複雑なハードルが重なり、特にオフィスや商業ビルへの導入では行政側にも前例が少なく、交渉が難航する場面も多数ありました。デザイン、仕様、法規制など、すべて試行錯誤を繰り返しながら乗り越え、現在は1組限定で貸し切る付加価値の高い施設を全国に10店舗展開しています。

「空間をつくる人」から「体験をデザインする人」へ。リノベーションで挑戦を続けてこられたのは、失敗を糧にする強さがあったからです。これからも失敗を恐れることなく、3年以内に国内100カ所のウェルネス拠点プロデュースを、5年後には200店舗まで拡大して上場させたいと思っています。「禅サウナ別荘シェアリングによる地方創生」をキャッチフレーズに、空間創出とサウナ事業の可能性を拓き続けていきます。

(構成/岸のぞみ)

サウナイン株式会社 ホームぺージ


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