アッキーちゃん2

シナリオライター・歴女プレゼンター・バーテン・盆女 英 千安希さん

7年務めた会社を辞め、ナレーターになる夢を追いかけている英千安希さん。どんな環境で生まれ育ったのか、第2回では彼女の生い立ちを辿る。

寡黙で読書ばかりしていた小・中学校時代

 千葉県長柄(ながら)町。房総半島のど真ん中、人口約6500人の小さな町で、千安希さんは3人兄弟の長女として生まれた。名前ではなく「屋号」で呼び合い、地域の人たちは全員顔見知り。どこの高校に行った、誰が結婚した、というウワサは一瞬で集落全体に広まった。当時は玄関の鍵を締める風習もなかったという。
 「虫は嫌いだったけど、この環境は好きでした」と千安希さん。
 幼少期は近所の友達とたんぼに入ってザリガニを採ったり、凧あげをしたりして遊んだ。

 明るくポジティブな性格の父親と、繊細な母親。物心ついた頃から、千安希さんは人の顔色を伺うようになったという。
 「嫌われたくなくて、自分の気持ちをハッキリ伝えることができませんでした」。

 小学校4年生の頃から、いじめられるようになる。「小・中学校は友達がいなかった」と振り返る。

 「学校で、2人組を作りなさいとかあるじゃないですか。あれが本当にイヤで、私はいつも一人余っていました。だから、小・中学校にあまりいい思い出がないんです。ずっと、図書室で本ばかり読んでいました。学校の怪談とか、ナチスドイツの怖い歴史とか、魔女裁判の歴史とか、そういった本を読んでいましたね。基本、根暗なんです(笑)。その頃から、歴史に興味を持つようになりました」

千安希さんが通っていた水上小学校は、今は廃校になっている

 子どもの頃から社会人になるまで、千安希さんの心の支えは祖母だった。学校で嫌なことがあったり、仕事がうまくいかなかったりしたときは、祖母に会い、話を聞いてもらった。

 すると祖母は「いつもニコニコしていなさい」と励ましてくれた。嫌なことがあったときは、いまでも祖母のこの言葉を思い出す。

 中学時代、国語と社会の成績は良く、数学はまずまず。得意だったのは裁縫。あるとき、家庭科の授業で甚平(じんべえ)を作った。みんなはハイビスカスなどの柄を選んでいたけれど、千安希さんはピンク地に金魚の和柄をチョイスした。

 「なんで自分の感覚は他の人と違うのだろう。人と違うのはダメなことだと思い込んでいた。息苦しかった」と言う。しかし、この甚平で千葉県知事賞を受賞。千安希さんにとって小さな自信が生まれた出来事だった。

まだ20代、好きなことをしよう!

 いじめっ子のいるこの街を離れて、誰も自分のことを知らない場所に行きたいと考えた千安希さんは、高校は実家から少し離れたいすみ市へ。そこで新たな人間関係を築いていく。

「高校に行き、世界が広がりました。中学校まではトイレやお弁当など、女友達と一緒に行動しないといけないという感覚があったけれど、高校は自由でした。1人で過ごしている人もいたし、LGBTの人も含め多様な人が自分らしく生きている環境がありました。自由でいいんだなとこの頃から気持ちが少しラクになったのを覚えています」

 高校では文芸部と演劇部、美術部を掛け持ちし、大好きだったアニメのコスプレで遊んだりもした。コンビニで初めてのアルバイトも経験する。

千葉県立大多喜高校。ここで世界が広がり、友達もできた

 生徒の9割が大学に進学する高校で、千安希さんは就職の道を選択する。
 「大学に行っても特にやりたいことがなかったし、働いて、早く自分のお金でコスプレや好きなことをやりたいと思ったんです」

 高校の近くの製造業に就職。「正社員の女性が入ったのは11年ぶり!」と歓迎された。
 20歳で初めて家を出て、会社に近い隣の市で一人暮らしをスタート。
 しかし、仕事はどんどん多忙を極めるようになる。18歳で社会に出て、7年が経っていた。
 「心を殺して働くような日々のなかで、ここで、定年まで働くのかな? と考えたとき、なんか違うな、と思ったんです。まだ20代、やりたいことをやったほうがいい! と思いました」

 最初に起こした行動は、荒れに荒れた部屋を掃除すること。こうして20代半ば、千安希さんの人生が大きく動き始めたのだった。


プロフィール
英 千安希(はなぶさ・ちあき)
シナリオライター・歴女プレゼンター・バーテン・盆女

千葉県長柄町生まれ。地元の高校を卒業後、会社員として働く。25歳のときにナレーターを目指し上京。現在は声優事務所に所属し、ボイスドラマのシナリオライター、盆女、歴女プレゼンター、バーテンなど幅広く活動中。
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