雑賀さんショート

夢だった映画監督を目指して企画を出し続け、2001年に監督デビューしました。

映画との出会いは、ラグビーに打ち込んでいた高校時代。腰を痛めて練習を休んだある日のこと、友達に誘われて地元・北九州市の小倉にある映画館で『ロッキー』を観ました。
それが、ものすごく面白かったんです。
興奮冷めやらず、終電を逃し、深夜に友達と一緒に線路の上を歩いて家までの道を歩きました。夜の暗闇の中に、ライトアップされた新日鉄の工場の光がきらめいていた。その夜の光景は、いまも鮮明に目に焼き付いています。

――この街に、『ロッキー』みたいな映画があったらいいのにな。

ただ、そのときは、自分が将来映画監督になるなんて、まったく思ってもみませんでした。

高校を卒業し、早稲田大学に進学。「エトセトラ」というサークルを立ち上げ、書籍を出版したり、イベントを開催したりする中で、自主映画も制作しました。文化祭のようなノリで仲間たちと映画を作るのが楽しく、将来は「映画の世界に進もう」と決めました。

ところが、1980年代初頭、テレビの勢いに押されて映画業界は斜陽。東宝の入社試験を受けようと思ったら、不動産部しか募集していませんでした。そこで、大学の先輩からリクルートに映像部があると聞き入社。しかし、『住宅情報(現・SUUMO)』の営業に配属されてしまいます。

――えっ、結局不動産?!(笑)

仕方なく『住宅情報』の営業に行くのですが、不動産のことは何もわかりません。お客さんに好きな映画の話ばかりしていたところ、半年くらいして、あるお客さんに「君、面白いね」と言われ、突然2億円の広告を受注したのです。
大型受注で社内表彰されてしまい、壇上で受賞のスピーチをしながら、「あ、俺の居場所はここじゃないな」と思い、退職を決意しました。

テレビの映像制作会社に転職し、給料は4分の1ほどになりましたが、いま振り返っても、まったく後悔はありません。テレビ番組のディレクターや演出の仕事をしながら、映画会社に企画を出し続けていたところ、あるプロデューサーの目に止まり、『クリスマス・イヴ』という原作ものを映画化するので監督をやってみないかと声をかけてもらいました。ロマンティックなタイトルですが、内容はホラー。殺人鬼が人々を大虐殺するようなストーリーで、自分に撮れるのかと迷いましたが、スティーブン・スピルバーグ監督も、ジェームズ・キャメロンも、デビュー作はホラーです。「自分もここから始めてみよう」と考え、2001年に監督デビューを果たしました。

その後、鹿児島を舞台にした映画『チェスト!』では、角川日本映画エンジェル大賞を受賞し、はじめて海外映画祭に出品することができました。有村架純さん主演の『リトル・マエストラ』を機に起業。自社で映画製作ができる環境をつくりました。

そして、2022年、ついに地元・北九州市を舞台にした映画『レッドシューズ』を製作しました。

――北九州オールロケの作品を撮りたい。

ずっと思い描いてきたその夢が、20年越しに叶ったのです。コロナ禍での撮影だったため、大変なことも多かったですが、地元の皆さんの温かい協力により、無事に公開までこぎつけることができました。
企画を考えても、さまざまな要因で形にならないケースが多い中で、映画が完成し、公開されることは、奇跡のようなものだと思います。私が監督を務める映画は、企画から制作、編集、宣伝、配給まですべてに携わっており、生み出した1つ1つの映画は、我が子のように大事なものです。

いまは劇場公開が終わっても、配信サイトによって多くの人に映画を見てもらうことができます。その良さも十分に感じつつ、一方で映画館には映画館の良さがあります。何より、音響が違います。ぜひ、映画館に足を運び、映画館でしか味わえないダイナミズムも楽しんでもらえると嬉しいです。

(構成/尾越まり恵)

最新作『レディ加賀』 公式サイト

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