大久保さんショート

2015年、がんの経験者同士が交流できるインターネットコミュニティを運営するため、5years(現・NPO法人5years)を立ち上げました。

42歳のとき、片方の睾丸が小石のように小さく硬くなっていることに気づき、泌尿器科に行ったところ、精巣がんが発覚。進行の早いがんだからと1週間後には手術を受けました。原発の精巣がんは切除できたのですが、手術後にリンパ節や肺、首など全身に転移していることがわかり、医師からは「5年生存率20%」と告げられました。

その後、3回の手術と抗がん剤治療を経て、私の命は奇跡的につなぎとめられました。がん以上に、抗がん剤の副作用で間質性肺炎を患ったのが大変でした。いまも肺の一部が機能していない状態ですが、病気になる前から好きだったマラソンを再開し、100kmのウルトラマラソンを走れるほどに回復。治療後は闘病前に勤務していた外資系の証券会社に復職しました。

5人に1人の確率で生き残り、マラソンまでできるようになった私は名物患者のような存在になり、経過観察で病院に行くと、医師から「大久保さんに会いたがっている患者さんがいる」と言われ、がん患者さんの病室に足を運び励ましていました。でも、パジャマ姿で抗がん剤の点滴を打ち、いままさに病気と闘っている患者さんに、自分は握手をして「大丈夫ですよ」と伝えることしかできませんでした。
一方で、会社に行くと、契約が成立したとみんなで喜んでいる。あまりにもギャップが大きく、自分はこのままここで働いていていいのかと考えるようになりました。

――自分が生かされた意味があるのではないだろうか。

がんの経験を生かして社会に恩返しをしたいと考え、2014年、49歳のときに会社を辞め、翌2015年に5yearsを立ち上げました。子どもは当時、まだ中学生と高校生。突然無収入になるわけですから、いま振り返っても、よく思い切ったなと思います。自分自身を突き動かしたのは、強い使命感でした。

命と向き合うがん患者に必要なものは何か。それは、お金でも物でもない。「希望」、「仲間」、そして「体験情報」です。これらはすべて闘病中に私自身が欲しかったけれど手に入らなかったものでした。

5yearsを立ち上げた当時、がん患者が自身の体験を投稿し、交流できるようなサイトはありませんでした。それは、みんな病気のことを隠しているからです。そのため、5yearsの構想に対して、当事者の方がむしろ消極的でした。

「他のがん経験者の情報はほしいけれど、自分の情報は出したくない。だから、そんな仕組みが成り立つわけない」

その言葉の通り、最初の数年はまったく登録者が増えませんでした。貯金はどんどん減っていきます。

――こんなことをするために自分は会社を辞めたのだろうか……。

しかし、このとき私には2つ思いがありました。
本気で一生懸命やっていれば、きっといつか報われる。そして、本来なら隠したい情報を語ってくれるがん経験者に対して、誠実に接していこう。

立ち上げから9年が経ち、いま5yearsの登録者数は23000人。2021年には認定NPO法人となり、国内最大級のがん経験者コミュニティに成長しました。登録者からは「家族にも話せない悩みがある。5yearsに出会えたことに心から感謝しています」「自分は1人じゃない、仲間がいるという安心感を得ることができました」といった喜びの声が届いています。
奇跡的に生かされた自分が、80歳、90歳になるまで続けていくべき使命を得たと思っています。今後はがん以外の病気にも広げながら、事業化にも挑戦していきます。

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