2020年、尊敬する佐々部清監督が急逝。ずっと踏み出せずにいた映画監督への道に挑戦することを決めました。
中学1年生のとき、『青春デンデケデケデケ』という大衆演劇を観て、「こんな世界があるんだ!」と感動。同時期に三田佳子さん主演の映画『遠き落日』にも影響を受け、高校卒業後に俳優を目指して大阪から上京しました。
当時あった芸能界のオーディション情報誌『デ・ビュー』を見てひたすら応募をする中で、運よくある俳優の付き人をすることになり、10代でデビューが決まりました。
しばらくはテレビドラマを中心に活動していましたが、20代半ばに出演したドラマで、刑事役を演じている自分の姿を見て、ふと思ったんです。
――このままだと自分は消えるな。
映りも、芝居のキレも悪かった。そこで、修業のため演劇の世界に足を踏み入れました。名優と言われる俳優はほぼ、板に立つ経験をしています。そこからは年に数回、舞台を経験するとともに、演出を手掛ける入江悠さんと「劇団 野良犬弾」を立ち上げ、プロデュースにも携わりました。
30代になってからは映画監督として自分の作品を撮ってみたい、と考えるようになりました。しかし、当時は俳優と映画監督の両方をこなす人はいまほど多くなく、1つの道を追求することが良しとされる時代でした。
それに、これまで数多くの映画に出演してきたので、映画監督という職業がどれだけ大変か、どれだけ下積みが必要か、わかっていました。だから、「自分なんかが生半可な気持ちで足を踏み入れてはいけない」と、ずっとブレーキをかけていたんです。
しかし2020年、人生の師匠として尊敬していた佐々部清監督が亡くなりました。ご存知の通り、映画『半落ち』で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した、日本を代表する素晴らしい映画監督です。出会いは2001年に公開された映画『ホタル』で、佐々部監督は当時助監督でした。それ以来、人生相談にもたくさん乗ってもらいました。
僕は在日3世の韓国人なのですが、日本で芸能活動を続けていくにあたり、韓国名の本名と日本の芸名のどちらで活動するかを悩みました。そのとき、「胸張ってそのままいけよ」と背中を押してくれたのも佐々部監督でした。その一言で「崔 哲浩でやっていこう」と覚悟が決まり、いまがあります。
そうしてずっとかわいがってくれた師匠なので、亡くなった当初はひどく落ち込み、しばらくは立ち直れませんでした。
数カ月経ち、ようやく自分を取り戻した僕は、『チルソクの夏』で監督デビューした佐々部監督と自分が同じ歳になっていることに気が付きました。「いまここで挑戦するしかない!」と、佐々部監督への感謝とこれからの決意も込めて、初の映画監督作品を自主制作することを決断しました。
2022年に『北風アウトサイダー』で監督デビュー。企画、脚本、プロデュース、そして主演を担当しました。映画の製作には多くの人が関わります。監督業は想像していたより100倍大変でしたが、自分でゼロから企画した映画が上映されるのを映画館で観たときは、夢のようだと思いました。
監督になろうとしたとき、多くの人から「いち役者が監督なんてできるわけないだろう」と反対されました。何か新しいことに踏み出したときは、必ず波風が立ちます。それでも、本当にやりたいなら進むべきだし、進んで良かったと僕は思っています。たとえ最初は条件が揃っていなくても、進んでいれば助けてくれる人が必ず現れます。
2024年11月には2作目となる『ぴっぱらん!!』が公開されます。韓国にルーツを持つ3兄弟の絆を描いた作品です。恋愛映画や喜劇に長けている監督がいるように、韓国と日本の両方の感覚を持つ映画は自分にしか作れないと思っています。
これからも家族の絆や、人間の宿命、業のようなものを表現していきたい。そして、日・中・韓・インド・ロシア全部を巻き込んだ合作映画を作ることがいまの目標です。妥協せず、映画製作に向き合っていきます。
(構成/尾越まり恵)
中学1年生のとき、『青春デンデケデケデケ』という大衆演劇を観て、「こんな世界があるんだ!」と感動。同時期に三田佳子さん主演の映画『遠き落日』にも影響を受け、高校卒業後に俳優を目指して大阪から上京しました。
当時あった芸能界のオーディション情報誌『デ・ビュー』を見てひたすら応募をする中で、運よくある俳優の付き人をすることになり、10代でデビューが決まりました。
しばらくはテレビドラマを中心に活動していましたが、20代半ばに出演したドラマで、刑事役を演じている自分の姿を見て、ふと思ったんです。
――このままだと自分は消えるな。
映りも、芝居のキレも悪かった。そこで、修業のため演劇の世界に足を踏み入れました。名優と言われる俳優はほぼ、板に立つ経験をしています。そこからは年に数回、舞台を経験するとともに、演出を手掛ける入江悠さんと「劇団 野良犬弾」を立ち上げ、プロデュースにも携わりました。
30代になってからは映画監督として自分の作品を撮ってみたい、と考えるようになりました。しかし、当時は俳優と映画監督の両方をこなす人はいまほど多くなく、1つの道を追求することが良しとされる時代でした。
それに、これまで数多くの映画に出演してきたので、映画監督という職業がどれだけ大変か、どれだけ下積みが必要か、わかっていました。だから、「自分なんかが生半可な気持ちで足を踏み入れてはいけない」と、ずっとブレーキをかけていたんです。
しかし2020年、人生の師匠として尊敬していた佐々部清監督が亡くなりました。ご存知の通り、映画『半落ち』で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した、日本を代表する素晴らしい映画監督です。出会いは2001年に公開された映画『ホタル』で、佐々部監督は当時助監督でした。それ以来、人生相談にもたくさん乗ってもらいました。
僕は在日3世の韓国人なのですが、日本で芸能活動を続けていくにあたり、韓国名の本名と日本の芸名のどちらで活動するかを悩みました。そのとき、「胸張ってそのままいけよ」と背中を押してくれたのも佐々部監督でした。その一言で「崔 哲浩でやっていこう」と覚悟が決まり、いまがあります。
そうしてずっとかわいがってくれた師匠なので、亡くなった当初はひどく落ち込み、しばらくは立ち直れませんでした。
数カ月経ち、ようやく自分を取り戻した僕は、『チルソクの夏』で監督デビューした佐々部監督と自分が同じ歳になっていることに気が付きました。「いまここで挑戦するしかない!」と、佐々部監督への感謝とこれからの決意も込めて、初の映画監督作品を自主制作することを決断しました。
2022年に『北風アウトサイダー』で監督デビュー。企画、脚本、プロデュース、そして主演を担当しました。映画の製作には多くの人が関わります。監督業は想像していたより100倍大変でしたが、自分でゼロから企画した映画が上映されるのを映画館で観たときは、夢のようだと思いました。
監督になろうとしたとき、多くの人から「いち役者が監督なんてできるわけないだろう」と反対されました。何か新しいことに踏み出したときは、必ず波風が立ちます。それでも、本当にやりたいなら進むべきだし、進んで良かったと僕は思っています。たとえ最初は条件が揃っていなくても、進んでいれば助けてくれる人が必ず現れます。
2024年11月には2作目となる『ぴっぱらん!!』が公開されます。韓国にルーツを持つ3兄弟の絆を描いた作品です。恋愛映画や喜劇に長けている監督がいるように、韓国と日本の両方の感覚を持つ映画は自分にしか作れないと思っています。
これからも家族の絆や、人間の宿命、業のようなものを表現していきたい。そして、日・中・韓・インド・ロシア全部を巻き込んだ合作映画を作ることがいまの目標です。妥協せず、映画製作に向き合っていきます。
(構成/尾越まり恵)
『ぴっぱらん!!』
11月1日(金)よりテアトル新宿、アップリンク吉祥寺ほかにて全国順次公開
監督・脚本・プロデューサー:崔哲浩
出演:山口祥行 崔哲浩 福士誠治 金守珍 津田寛治 渡辺哲 三浦浩一
配給:渋谷プロダクション
©ワールドムービーアソシエーション
公式ホームページ
崔哲浩 Instagram