15年 勤めた製薬会社を辞め、家業を継ぐことを決めました。
日本ではじめての包装用シリカゲル乾燥剤老舗メーカーとして知られていた山仁薬品。父はその2代目社長として経営の中核を担っていました。幼い頃からその強いリーダーシップや器の大きさ、知識の豊富さに憧れ、「父のようになりたい」と思って育ったわたし。そのため、大学も父親と同じ薬学部へと進みました。ところがある日、そんな父から「この仕事(社長業)は、女には無理や。弟に継がせるつもりでいる」と言われてしまいます。
後継者になりたかったわけではありませんでしたが、父のその言葉は残酷に響きました。卒業後は大手製薬会社でMR(医療情報提供者)として勤務を開始。がむしゃらに働いたこともあり、営業成績は全国でも上位に入って出世コースに乗り、次第に将来を期待されるようにもなっていました。
MRの仕事が楽しくなってきたそんなある日、父親の病気のことを知らされます。後を継ぐ予定だった弟には健康不安があり、大学のときに潰(つい)えていた後継者の話がここに来て急浮上したのです。わたしは会社を辞めたくなかったので頑なに断りましたが、「サラリーマンの代わりはなんぼでもいるけど、社長である父親の代わりはあんたしかおらん」と言われて、しぶしぶ首を縦に振りました。
正直なところ、根負けして仕方なく始めた社長業。数字のこともわかりませんし、決算書の読み方もわかりません。どうしてもやる気になれなかったわたしは、「どうせなら自分のやる気が出るような組織づくりから始めよう」と組織改革に着手しました。入社当時の山仁薬品はタブレットタイプのシリカゲル乾燥剤という日本で唯一の商品を取り扱っていたこともあり、はっきり言って殿様商売。クレーム対応以外は 積極的に得意先に行きませんし、営業部と製造部の社員がFAXでケンカをしているような有様で、社内コミュニケーションは非常に乏しく、男子トイレは汚れで真っ黒でした。
わたしはトイレ磨きから始めて就任翌年には経営理念を制定。3年目に「3S(整理、整頓、清掃)」の徹底を掲げ、2013年には「K(危機管理)」を追加した「3SK」を掲げて外部研修も取り入れました。チャットツールも導入してFAXの使用頻度を下げ、活発なコミュニケーションを促進。ブランディング研修や全社朝礼の導入など、さまざまな組織改革に取り組んでいきました。
社長就任15年、そして創業70年。中小企業は経営理念やビジョンのない会社が多いように感じます。社長がトップダウンで何かをやる、背中を見せるというのももちろんやり方の1つではありますが、目指すべき方向さえ定まっていれば、人はついてきますし、たとえビジネスモデルが陳腐化しても乗り越えていけます。精神力でなく知識を授け、指示でなくビジョンを示す。その道筋が明確になったおかげで、ここ数年、ようやく全社で一体感を持って事業運営ができるようになったと感じています。
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