
32歳のときに美容師を辞め、美容師のスキルを生かして人のプロデュースをするプロデューサーになることを決めました。
母が美容師、父が理容師で、実家が宮城県仙台市で3代続く理容室だったため、当たり前のように美容師になって実家を継ぐのだと思って育ちました。高校は進学校だったので他の道も考えましたが、他に強く興味を引かれることもなかったため、卒業後はそのまま母の母校でもある美容師専門学校へ。その後、上京して目黒のサロンで修業を始めました。
そこは、若者のはやりを追いかけるだけでなく健康美容に特化した高い技術を学べるサロンで、顧客も皇室関係者や社長・社長夫人などのVIPばかり。お客様はリムジンでご来店され、美容師はシャツにネクタイを締めて接客します。お客様に大使館の会員制レストランに連れて行ってもらったり、豪邸にご招待いただいたりすることも多く、仙台から東京に上京しただけでもカルチャーショックが大きかった私ですが、美容室の常識を覆すようなサロンの仕事には常に驚きを隠せませんでした。
25歳まで修業して実家に帰ろうと思っていましたが、25歳の自分には満足できず「このままでは帰れない。30歳までに結果を出そう」と決めました。目黒のサロンは、当時青山で名を馳せていたカリスマ美容師たちのいる世界とは異なるものではありましたが、取り扱うことのできるサロンが少ない特殊な「弱酸性ヘッドスパ」をはじめとする高い技術を手に入れられたことに満足感を覚えていきました。
30歳、美容師の働き方や低賃金といった業界の課題が見えてくる中で、自分にできることは何だろうと考えるように。「現在のサロンは辞めるが実家にも帰らない」と決め、思い切ってQBハウスに転職を決意しました。これまでのサロンとはまったく異なる価値を提供するQBハウスは誰もが知る「お手軽・低価格帯」美容室の筆頭で、ちょうど上場を控えていた時期だったこともあり、組織づくりが学べると思ったことも転職先に選んだ理由でした。
QBハウスが有楽町で女性向けに展開していた2000円のカットは、いままで手掛けてきた接客や技術とは真逆で、スピードと均質なサービスが求められます。2年という期間を決めて走り切った私は32歳のときに満を持して独立を決意しました。
3店舗の美容室コンサルタント事業を経験した末に立ち上げたのは、プロデュース事業でした。美容師はお客様との距離感が近い職業で、雑談の中で悩みを聞くことも多くあります。「魅力的なお客様なのに、人生があまりうまくいっていないのはもったいないな」と思うことがよくありました。髪質に合った髪型、似合っている髪型を要望に合わせて提案するのと同様に、本来はその方の人生やなりたい未来から逆算して「その人自身」のトータルコーディネートを提案していくべきなのではないか。それは劇的ビフォーアフターのような変化ではなく、刈り上げの深さ1つ、カールの角度1つで表現していくことができるはず――。そう考えた結果、美容師としての第一線を退き、プロデュース業に特化することを選びました。お客様には長くても1カ月、基本的には2週間以内に来店していただきながら、その人がいちばんいい状態になるように顧客を導きプロデュースしていきます。具体的には、ヘアスタイル・ファッションを中心とした外見プロデュースとご本人のブランディングも含めたパーソナルコンサルティング事業を展開しています。
貯金のないまま独立したため、私の人間性や挑戦しようとしていることに共感してくれた先輩たちにお金を借り、その他の勉強費用およそ1000万円はローンを組んで支払いました。はじめは苦労しましたが、実際に営業成績が好転するなど、中小企業経営者や上場企業経営者の方、士業の方などさまざまな方に顧客となっていただいており、契約更新率は91%となっています。
「美容師はこうあるべき」という世の中の常識とは一線を画すサロンがあってもいいのではないかと思っています。これかからもさまざまな方の人生に寄り添いながら、プロデュースしていけたらと思っています。







