
私の決断は60歳で関通を東京証券取引所マザーズ(現 東京証券取引所グロース市場)に上場させたことです。
父親からの暴力に悩まされた幼少期。母親を守ることに精一杯で、そんな弱い自分が大嫌いでした。母子家庭となり、中高時代はグレて非行少年に。一方で、母親が長時間働きながら育ててくれたことへの感謝、どうしたら効率よく稼げるようになるかなどを考えた結果、「社長になるのがいちばん早い」と思うようになりました。高校卒業後はトラック運転手などできることは何でも請け負うように。1台のトラック運送から始めた事業でしたが、22歳のときに物流関連事業会社として関通を設立し、以来30年間、地方の中小企業として会社を経営してきました。
商売がうまくいくためなら何でも吸収。経営者クラブや交流会にも積極的に足を運び、インターネットを通じた勉強会にも時間を惜しみませんでした。すると時代の流れとともにEコマースが拡大。顧客数も増大し、年商70億円、従業員数も300人を突破して少しずつ企業としての体をなしていきました。
事業の拡大とともに「社会に認められる企業になりたい」「いつか上場したい」と思うようにもなりましたが、「自分には無理だろう」となかなか踏み出せずにいました。ところがある日、取引銀行の頭取から「上場しないの?」と聞かれたことで「自分にもできるかもしれない!」と自信を持つことができました。実はかなりクリーンに経営してきたという自負もあり、自分の至らなさで会社の成長が止まっているのだとしたら、もっと成長させていきたいという気持ちもあったのです。自分の力で大きくし、品格を持たせたい。かつての非行少年が上場会社の社長になることは、苦労をかけてきた母への恩返しにもなるはず――。
上場準備では、証券会社、監査法人、証券取引所などからのさまざまな問い合わせに対応する力が求められていきました。このとき私は、どんなに無理難題を言われても納期通りに宿題をこなすことを徹底し、何を言われても「はい、喜んで!」を合言葉に、すべてオーダー通りに提出することを心がけました。ショートレビューで400項目ほどの指摘が入るのですが、すべて期日までに解決する。それは上場企業になるためだけでなく、上場してから株主やステークホルダーの皆様の問い合わせ・ご要望に対応するための力を試されているのだと感じました。
結果、2020年、無事スケジュール通り東京証券取引所マザーズに上場することができました。コロナ禍で新規上場セレモニーもありませんでしたが、証券会社に出向いて株価が決定するのを待っていると、公募490円に対して1495円の値がつき、ささやかなお祝いをしました。60歳のときです。
その後、2024年9月にはランサムウェアによるサイバー攻撃を受け、17億円の損害と全業務停止するという人生最大のトラブルも経験しました。基幹システムが破壊され、何1つ機能しません。在庫データ1億5000万アイテムの所在も特定できなくなるという自体も起こりました。苦渋の決断でしたが、3日後に現行システムをすべて廃棄し、新しくすべてを構築し直すことを決断しました。それは7億円のIT資産をすべて作り直し、PC、サーバー、システムをすべて買い替えるということです。上場に次ぐ大きな意思決定となりましたが、この決断が功を奏し、40期は赤字となりましたが41期はV字回復となり、売上も110%に回復することができました。
「自分が決断しなければ会社が潰れる」という危機感と「犯罪集団に対して完全に屈服するわけにはいかない」という強い意志によって乗り越えることができたと思っています。老後も幸せに生きていきたいですし、ここから復活するしかない! そんな不屈の精神で対処し、終結後はこの教訓を生かしてサイバー攻撃とその対処法に関するコンサルティングサービスや、講演も100回ほど請け負いました。もちろんいまなお賠償問題が続いていますし、経営は常に意思決定の連続です。予定より1年遅くなりましたが2026年4月から私は会長職に退き、事業会社制にしてホールディングス体制へ。プロパー社員を3名社長職に据え、新体制が始まりました。
いまも昔もビジネスが好きですし、今後は新たにロボット産業にも進出していきたい。死ぬまでビジネスに関わっていきたいと思っています。
(構成/岸のぞみ)関通ホールディングス株式会社 ホームぺージ










