新卒で入社した航空会社でのCA(キャビンアテンダント)を辞め、家業に戻って靴下ソムリエになりました。
学校では生徒会や部活動に励み、明朗活発だった私。しゃべるのが好きで将来はアナウンサーになりたいと思っていました。一方家族仲も良く、毎週5時半に起床してお墓参りに出かけたり、住職さんが来訪するとごはんの支度や寝室の手配などを家族総出で実施したりして過ごしました。祖父は家族3代で事を為すことを重んじており、父も「家族に信頼、家族に笑顔」という信念を持っていたことから、家族で動くことは私にとってとても自然なことでした。
そんな我が家は兼業農家で、祖父が創業した鈴木靴下という会社で靴下の製造・販売も手掛けていました。父は私が高校生の頃から兼業農家の知見を生かし、米ぬかから抽出された成分をパルプ原料の再生繊維(レーヨン)に練り込む「米ぬか繊維」の開発に注力。開発にも販路拡大にも並々ならぬ苦労をしながら信念を曲げずに突き進む父の姿に魅了され、「いつか父のようになりたい。自分が継がなければ父の開発した米ぬか繊維が水の泡になってしまう」という思いを強くしていました。
大学卒業後は、家族旅行で馴染み深かった日系航空会社と昔からの夢だったテレビ局を中心に受験。社風が合うと感じた航空会社に内定をいただき、CAとして3年間働きました。その後、結婚を機に「父の米ぬか繊維を守りたい」と実家に戻り、2014年に鈴木靴下に入社。一社員として靴下の製造販売業に携わり始めました。事務の仕事をしながら靴下の販売をして回る日々は挫折の連続。靴下に対する知識も乏しく製造機械のこともわからない。PC作業も得意でなくEC(インターネット販売)や物流システムの管理画面もうまくさばけません。あまりのできなさに工場の裏側で叫んだこともありました。ふと空を見上げると大空を飛んでいく旅客機の機影が見え、「同期たちは今頃知識もスキルもつけてキャリアを築いているんだろう」と思うと自分が情けなく、涙があふれました。
そんな時代を切り抜けることができたのは、フライト時代の経験を生かして開発した消臭ストッキング「Flight Stockings(フライトストッキング)」の開発や楽天総合ランキング1位、シリーズ累計10万足を突破した「締め付けない靴下」の実績もありました。でも自身が変わる最大のきっかけになったのは、靴下の良さを伝える伝道師「靴下ソムリエ」という資格を知ったこと。根本的で体形的に靴下の知識を勉強するために靴下ソムリエ資格試験に挑戦し、2017年に無事資格を取得したことで自信につながり、少しずつ営業トークも弾むようになっていきました。
会社はいま、父が開発した米ぬか靴下のリブランディングに注力しており、2024年の1年が正念場。米ぬか繊維の良さをより多くの方に知っていただけるよう取り組むと共に、生活環境、体質、加齢に伴う体調不良や故障に寄り添ってくれる商品、コンプレックスを含めたありのままの自分を好きになるきっかけを与えてくれる商品を今後も開発することで、会社としての存在意義をより確立していきたい。私たちの挑戦はこれからも続いていきます。
(構成/岸のぞみ)