38歳で長年勤めた大手物流会社を退職し、異業種に挑戦することを決めました。
小・中は私学の一貫校に通い、週7日は習い事をこなす日々。物心ついた頃からそうだったので、「やりなさい」と言われたことをこなすのが当たり前になっていました。好きも嫌いもなく、意思もない。勉強も得意ではありませんでした。生活が一変したのは高校1年生のときのこと。中学3年生で「留学」という手段があることを知り、「学び」に関する自発的なことなら両親も受け入れてくれたため、高校1年生、15歳のときにはじめてアメリカのアイオワ州に1年間の交換留学に行きました。英語も話せないし、飛行機に乗るのもはじめてでしたが、閉ざされた世界から飛び出し、自分の意思で人生を決めているという実感がありました。16歳で帰国すると高校を中退し、アメリカの高校に入り直して私費留学しました。
3年間やり切った後は帰国して中央大学へ。国内で事業展開をしている大手企業に行きたいと考えて、超大手の物流企業に入社しました。人事部に配属されましたが営業を担当したいと希望を出して法人営業部に異動。全国で2人しか女性営業はいませんでしたが、女性ならではの発想を生かし、当時競合他社が持っていた化粧品会社の契約を獲得するなど奮闘し、関東80人の営業担当の中で5位の成績に入るなど好成績を残すことに成功しました。
ところが、2011年に結婚して妊娠が発覚すると、内勤への異動を命じられてモチベーションダウン。産休・育休の後に復職するも、時短勤務であることを理由に「責任ある仕事は任せられない」と言われ、さらにモチベーションは下がっていきました。転職も考えましたが、幼い子どもを育てているという点や、広く浅くさまざまな業務に携わってきたというこれまでのキャリアに対して自身の市場価値を見い出せず。「こんなことでいいのだろうか」という疑問を抱きつつ、6年もの間、やりがいの見い出せない仕事をこなしていました。安住の地があると、何かやろうとしても、挑戦した先にあるデメリットやリスクばかりに目がいってしまうものです。わたしもその御多分に漏れず、「やりがいはないけれど、福利厚生も充実しているし、仕事も安定している。ワーキングマザーとしてはこれで間違っていないのではないか……」。まるで自分に言い訳をするように、そんなことを考えながら過ごしていたのです。
ところが2020年春、新型コロナウイルスの流行によって社会が止まり、学校も休みになりました。学童も休みになったので、子どもが家にいるので外に働きに出られません。「在宅ワークがしたい」と申し出ましたが聞き入れてもらえませんでした。再び転職を考えはじめたわたし。「自分にもできる仕事って何だろう。いまの仕事を続けたいかと言われたら続けたくないよな」と悶々と考えていたとき、小学1年生の息子が「なんでやりたくもない仕事をやるの? ママが楽しいと思うことだけやればいいじゃん!」と言ってくれました。彼の言葉を聞いて「自分にできそうな仕事を探すのではなく、自分がやりたい仕事に挑戦しよう」と開き直ることができたわたし。6年間「こなす」ことばかり考えて働いていたわたしは、まるで留学する前のわたしと同じだったと気がついたのです。
専門性を磨いていきたいと考えて候補に残ったのが、大手小売業の出店戦略の仕事か、採用コンサルティングを手掛ける現在のシーズアンドグロースの二択でした。最終的には「世の中のおかしな常識を変えていく」と「人の可能性を信じる」というビジョンに共感し、「シーズアンドグロースが目指している未来を一緒に目指したい」と考えて入社を決意。38歳の挑戦でした。
入社してみると、人生を無駄にしたと思っていた前職でのキャリアがすべて生かせることに気が付きました。自分がどれだけ貢献できたのかもダイレクトに感じられますし、マネジメントしている社員の成長にも喜びを感じます。このまま会社の影響力を拡大していくことによって、「挑戦したことで人生が好転していく」という経験を社員にも読者の皆さんにも感じてほしい。これからはそんな会社・社会づくりのために尽力していきたいと思います。
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