吉沢好子 着付け師

海外で暮らし、日本の文化を広めていく。やりたいことに妥協せずに生きてきた私の、いまの最大の目標です。

大学1年生のとき、3泊4日、沖縄でスキューバダイビングをすると単位が取れるという一般教養の授業があることを知りました。「何これ、ラッキー。楽しそう!」と感じて気軽に参加。もともとスポーツが得意だったこともあり、一気にダイビングの魅力に引き込まれました。そこからは趣味でアドバンスドウォーターという資格を取得し、グアムやサイパン、沖縄などに潜りに行く日々を過ごしました。

大学卒業後は損害保険会社を経て、憧れだった旅行会社へ転職。ツアーガイドとして働き始めました。お金をいただきながら大好きな旅行に携われる仕事はまさに天職。力量次第でお客様の旅をより鮮やかに彩ることができる、とてもやりがいを感じる仕事でした。

いつかは海外に住んでみたいと考えていた私は、転職3年目の夏、海外移住計画を始動。中でもダイビングでよく訪れていたパラオ共和国に魅力を感じ、現地の旅行会社の求人に応募。見事内定を獲得することができました。3カ月後の9月にはパラオへ。海のツアーガイドとして毎日海へ行き、仕事着は水着! という生活を3年ほど送ることができました。

34歳で日本に戻ってからは、将来的には独立したいという気持ちが強くなり、そのための実績作りとして、岐阜県高山市に新しくホテルを建設するプロジェクトの責任者を担当。土地の契約から建設会社の選定、スタッフの採用、オペレーションの策定などに携わり、2年ほどかけて無事にオープンしたのが2019年のことでした。

この頃、添乗員やパラオでの仕事の中で日本文化をほめてもらえる機会が多かったことに着目し、着付け師の資格を取得しました。今度海外に行くときには、日本人という特性を生かし、日本文化を伝えていくような仕事がしたい、そんな気持ちがありました。

そして時はコロナ禍へ。ホテル事業が頭打ちとなる中、ホテル部門のスタッフは住宅系の部署に異動となりました。「悩んでいる時間がもったいない!」とフリーランスの着付け師への転身を決意。「春と秋の繁忙期は日本国内で仕事をし、閑散期には海外で着物文化を広めたい」と考えるようになりました。

悔いなき人生を。私の大好きな言葉です。2025年を目標に、今度は地中海に浮かぶ世界有数の観光地、マルタ共和国との二拠点生活を見据えて準備を進めているところです。

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