unyara(うにゃら)

ミュージシャン unyara(うにゃら)さん

別れと復縁を何度も繰り返しながらも、14年間付き合い続けた恋人と、32歳で別れる決断をしたうにゃらさん。「彼はやさしくて紳士的だった」と振り返るうにゃらさんだが、自ら別れを告げた。そこにはどんな思いがあったのだろうか。

結婚して家庭を持つ人生が理想だった

 20代のうにゃらさんにとって、元恋人のまことさん(仮名)は心の支えだった。バブル崩壊後、父親の仕事がうまくいかず、経済的に苦しくなり、父親は荒れた。家の中で酒を飲み暴れることもあり、やがて両親は離婚。さらに、大好きだった父方の祖母が他界と、うにゃらさんにとってつらい出来事が続いた。そんな時期を「暗黒の20代」とうにゃらさんは表現する。「つらすぎて、あまり記憶がない」と話すそんな時期に、彼はずっと隣にいてくれた。
 ある年の誕生日に、彼が涙の粒をかたどったアクセサリーをプレゼントしてくれた。添えられた手紙には、「君の悲しみの涙をこの中に固めておいたから、君を泣かせるような出来事はもう起きないんだよ」と書かれている。ひたすらに、やさしい人だった。

 24歳で音楽を始めたときも、彼は良き理解者となり応援してくれた。傍から見れば申し分のない相手で、別れる必要などなかったようにも思える。

 しかし、30代になったうにゃらさんは悩んでいた。どうしても結婚・出産をしたかったからだ。結婚がしたいと思うことに、特別な理由はなかった。ただ、小さい頃から思い描いていたのだ。「結婚して子どもを産み、家庭を持つことが自分の人生の理想だと思って生きてきた」と話す。

うにゃらさんは会社員として働く傍ら、ミュージシャンとして活動する。「うにゃら」という名前は、元恋人のまことさんが「うにゃうにゃしているから」と名付けた。「気に入って今でも使ってる」という


 彼の仕事のこと、経済的なこと、家庭の事情など、結婚できない理由はいくつもあったという。何より大きかったのは、1歳年上の彼が、30代になっても結婚を前向きに考えようとしなかったことだ。

 「私がそれとなく結婚の話を持ち掛けても、『38歳くらいで結婚したい』とか言うの。マジか、おい! と思ったよね(苦笑)。出産のタイムリミットに対する理解のなさよ! 彼のことを嫌いになったわけではないいけど、私は結婚して子どもがほしかったから、『別れます!』って言った。待てなかったね」

 当然、その決断をするには大きな葛藤があった。長く付き合ってきたために、彼以外の男性をほとんど知らなかった。別れたからといって、他の誰かと必ず結婚ができる保証もない。ぐるぐると悩んでいる間に、うにゃらさんは当時の音楽仲間の1人にも惹かれるようになる。しかし、その彼には恋人がいて、付き合えない。頭の中はまさにカオスだった。

幸せな恋愛ソングなんて、歌いたくない!

 自分から別れを切り出したものの、うにゃらさんはまことさんのことを引きずった。

 「しばらくは、別れたことを後悔したかな。14年だよ? そのときは私の20代を返して! と思ったよね。まわりに八つ当たりしてたし、情緒不安定でよく泣いてた。『私は世界が平和になって、みんなに幸せになってもらいたいんだー!』とかって、よくわからない理由で泣いてたこともあった(笑)」

 うにゃらさんとともに「ソシテアルイハ」というバンドで活動をする音楽仲間の香織さんに、当時の話を聞いてみた。香織さんは一度だけ、まことさんに会っている。

 「ライブに来てくれたんですよ。遠くで会釈した程度で話してはいないけど、やさしそうな人だった。おしゃれでインテリなイメージでした」(香織さん)

 彼との別れを誰にも相談しなかったうにゃらさんは、香織さんにも事後報告だった。

 「話を聞いて、ええええ! とビックリしました。長く付き合ってたし、結婚すると思っていたので。でも、何回か別れて戻ってを繰り返していたから、また戻るんじゃないかな、とも思ったけど……。でも今回は違うんだな、という雰囲気がありましたね」(香織さん)

unyara(うにゃら)

「ソシテアルイハ」のバンドメンバーであり、一番の理解者である香織さん(右)。失恋して落ち込んでいたうにゃらさんを支えてくれた


 当時のうにゃらさんは、どんな様子だったのだろうか。
 「結構長く落ち込んでいましたよ。14年付き合った恋人とは別れるし、ちょっといいなと思っていた人には彼女ができるしで、とにかくずーんと落ち込んでいて、まぁまぁバンド活動に影響してましたからね。このままバンドが終わるんじゃないかという危機でした(苦笑)。
『明るくて能天気な曲だから歌いたくない!』とか、『こんな幸せな曲は歌いたくない』とか言うわけですよ。バンドメンバーはみんな、『えーっ!』ってなってた(笑)」(香織さん)

 バンドメンバーたちはうにゃらさんに何があったのか、多くは聞かなかった。すべての事情を知る香織さんのフォローによって、バンド活動は何とか維持できた。もちろん、うにゃらさんのキャラクターによる力も大きい。

 「みんな『えーっ!』とはなるんだけど、『まぁしょうがないか、うにゃらだし』って、受け止めていました(笑)」

突然の再会、「この人ではない」と吹っ切れた

 うにゃらさんが彼のことを吹っ切れたのは、別れてから3年後。「いい人と出会えますように」と神頼みに行った神社で、ふたりはバッタリ再会した。

 「彼は1人でいて、相変わらずおしゃれだった。あ、どうも、元気? あ、元気。じゃあ、みたいな。そこからは何も発展しなかったね。そのときに、あ、この人じゃないと思ったんだよね。この人とは完全に終わったな、と。それが吹っ切れたポイントかもしれない」

 それからは、彼とは一度も会っていない。SNSを一切しないという彼の現状を知る術はない。

 「いま、何をやってるかな、と考えることはある。元気にしていてくれたら嬉しいし、幸せになっててくれたらうれしいと思う。でも、あんまり幸せだと、それはそれでちょっとイヤかも(笑)。再会して『俺、いまこんなに幸せで』とか言われると絶対ムカつくからさ。だから、知らないほうがいいよね。会わないほうがいいと思う。私の中では本当にきれいな思い出に昇華した感じ」

 彼とバッタリ会った35歳の頃から、うにゃらさんは少しずつ、自分で自分の機嫌をとれるようになった。

 「35歳を過ぎるとさ、周りが結婚しろ、と言わなくなるんだよね。それも大きいかな。結婚しろ、と言われるのはストレスだったよね」

 ちょうどその頃、家族を悩ませた父が病気で亡くなり、その数年後には母も他界した。「生きることが少しラクになった」と話すその理由は、恋愛だけによるものではない。

 「父は困ったちゃんだったからさ。離婚後数年経ってからは、ずっと精神科に入院してたし、そのお世話をしなきゃいけない、という重圧から解放されたのはすごく大きかったかな。その後、母の看病中は、バンド活動もできなかった。でも、他界したあとに、みんながまたやろうって言ってくれて、それは本当にありがたかった。今は、ハッピーな歌も、失恋の歌も、何でも歌える。1つじゃないよね。いろんなことが積み重なって、今の私ができ上がってると思う」

35歳の頃のうにゃらさん。音楽との向き合い方も少しずつ変化し、「今はどんな歌でも歌える」と話す


 結婚して家庭を持ちたいという「理想」と、結婚できない目の前の恋人という「現実」。そのギャップに苦しみ、別れを決めたものの、自分の決断が本当に正しかったのか、悩んだこともあった。迫る出産のタイムリミットに焦り、さまざまな葛藤の中で過ごした30代だった。
 30代後半になり、ようやく少しラクに生きられるようになったという、うにゃらさん。ところが、40代になった彼女には、さらに大きな試練が待っていた。

(文・尾越まり恵)

プロフィール
unyara(うにゃら)
ミュージシャン

1979年6月生まれ、埼玉県入間市出身。大学中退後フリーターになり、働きながら24歳で歌を始める。現在は会社員のかたわらミュージシャンとして活動。2020年に卵巣がんと子宮がんを併発。がんサバイバーでもある。

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