私の決断は、選挙に出馬した際、15年ぶりに仕事仲間と再会したことを機に会社を辞め、起業したことです。
実家は神奈川県の湘南で200坪ほどの敷地をもつ、比較的裕福な家庭でした。先祖伝来の土地でありがたいと思う一方、幼い頃から「自分の力でこれ以上の家を建てられる人になりたい」と考えていました。
高校卒業後は日本大学法学部へ進学。一浪・四留してギリギリの卒業でしたが、進路として最初に浮かんだのは政治家でした。そこで河野太郎事務所に電話して「秘書にしてほしい」と頼みましたが、「政治家はいつでもなれる。社会に出て1000万円稼ぐことの大変さを学んだほうがいい」と言われて納得し、大学時代に勤務してバイトリーダーにまでなっていたコールセンターの会社で働き始めました。
コールセンターの仕事はまさしく天職で、みんなが苦手とするクレーム対応も大得意でした。電話口のお客様が何を求めているのか、何をどう伝えればいいのか、自分には手に取るようにわかったのです。
勤続10年ほど経った頃、北海道支社で80席160人ほどのコールセンターの立て直しを図るよう指示を受けて北海道に飛びました。そのコールセンターは毎日出勤人数の半分ほどのスタッフが欠勤して、朝礼担当の管理者が欠勤だと朝礼が中止になるような状況。当然電話がつながらないと評判が悪く、業績も赤字でした。私は持ち前のコールセンタースキルを生かして4カ月でセンターの品質向上を果たし、黒字化を成功させました。このとき、得意先の担当者だったのがKさんです。この後、数年の後に再会し「あのときのセンターは本当にいいセンターだった」と言ってくださり、私の決断のきっかけをくれた人です。
さて、センター立て直しに成功した私は1年半ほどで北海道を離れ、神奈川に戻ってきました。そんなある日、三浦海岸駅で横粂勝仁(よこくめ・かつひと)氏が街頭演説をしているのを見かけたことがありました。すると私が通りかかった際、彼は持っていたビラを落としてしまったのです。私はそれを拾い上げながら「若いのに偉いね」と声を掛けました。その日の帰り道、ふと気になって横粂氏の事務所に立ち寄ってボランティアとして手伝うこととなったのがきっかけで、私は「政治家になりたい」というかつての夢を叶えるべく、彼の公設秘書となりました。
数年の秘書生活を経て39歳のときに神奈川県議会議員選挙に出馬しましたが、落選。その後、ベンチャー企業で働いたのち、43歳で地元・茅ヶ崎市議会に出馬するも「地元にいなかったじゃん」と落選しました。この2回目の出馬の際、駅で街頭演説をしているときに再会したのが、例のKさんでした。数年後に「またうちのセンターを手伝ってくれませんか?」と声をかけてくれたことがきっかけとなり、「それほどまでに求めてもらえるなら」と個人事業主として仕事を受け合うことにしたのです。46歳のときのことでした。
その2年後、法人化した2020年の暮れ、「翌2021年に某市の市長選があるから出馬しないか」と地元の有力者から打診を受けました。実際このときの私なら当選したのかもしれないと思いましたが、「今井さん助けて」と言われて事業を受けているのに、ここで自分が抜けるのは違うだろうと思いました。このとき、長年思い描いていた政治家の夢をきっぱり諦め、今の事業を伸長させていきたいと思うことができたのでした。
政治家になりたいと思っていた私が、経済の世界で生きていくことを決めたのは、Kさんとの出会いと再会のおかげです。やりたいことをやるのは難しいけれど、求められていることをやるほうがいいのではないかとも考えるようになりました。
コールセンターは技術革新が遅れているので今後はAIもうまく活用しながら人口減の時代に対応していきたい。そして将来的に十分な資金を貯めることができた日には、かつて政治の道で叶えたいと思ってきた、子どもの支援に向けた何かができたらいいなと考えています。
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