2005年、韓国に拠点を移し、フリーランスとして活動することを決めました。
新卒で韓国の総合商社の日本支社に就職。入社2年目から本格的に韓国語の勉強を始めたら、どんどん楽しくなりました。
1995年に会社を退職してソウルに1年弱語学留学。帰国後はサムスンで働いたものの、思うように韓国語を生かせるような仕事に就けず、フラストレーションを感じるように。その後、韓国資本のIT系ベンチャーに転職したのですが、あまりのハードワークで疲弊し、ITにも馴染めず……。
「いったん、韓国から離れてみよう」と、日系の人材派遣会社で数年働くものの、結局「自分の強みは韓国語しかない」と思い直します。
2004年の初頭、語学講師の研修受講のために再び韓国に渡り、2カ月間、短期留学をしました。幸い、帰国後すぐに講師の仕事が見つかったのですが、自分の実力不足を痛感します。
時代はまさに、韓流ブーム真っただ中。自分はその前から留学して韓国語を勉強し、韓国企業で働いた経験もあるのに、何とも中途半端な状態のまま36歳になっていました。
――語学だけじゃない。もっともっと韓国のことを知り、自分に自信をつけたい。
そう考え、韓国に移住することを決意します。いま思えば、何をやってもうまくいかない現実から逃げたいという思いもあったのかもしれません。
知人のつてをたどり、最初は地方都市の慶州(キョンジュ)で暮らしました。はじめての田舎暮らしで、人との距離の近さにとても戸惑いましたが、いま思えば、ソウルとは違う場所で、その土地の人と触れ合い、何とか生活を続けられたことが、いまの自分の糧になっていると感じます。それなりに覚悟を決めて韓国に来たので、ここで何かを成し遂げられるまでは日本には帰れない、と、そのときは強く思っていました。
はじめは知り合いを通じて翻訳の仕事や、企業から通訳コーディネーターの仕事を受けていましたが、生活は安定しません。
「何か自分の名刺となるような分野をつくりたい」と考えていた2005年は、ちょうど「MISSHA(ミシャ)」や「イッツスキン」など、後に「プチプラ韓国コスメブーム」をけん引するブランドが生まれ始めた頃です。もともと皮膚が弱く、コスメには興味がありました。
翌2006年にはハンスキンが発売した「BBクリーム」が大ヒット。韓国コスメが日本でも紹介されるようになるのですが、日本語で見られる情報が圧倒的に少ないと感じました。
「よし、じゃあ私が書こう!」
ブログを開設し、誰が読んでくれるかわからないながらも、一生懸命韓国コスメの情報を書き始めました。
転機はそれから数年後。旅行ガイドブックの編集者がブログを見て、「パワーブロガーのおすすめ」特集に私を起用してくださったんです。これをきっかけに、旅行ガイドブック『るるぶ』などの取材や執筆を担当するようになり、さらに日本のいろいろな雑誌の韓国特集のライティングの仕事へと広がっていきました。
2011年からはソウルに拠点を移し、コスメを紹介するイベントなども実施するように。コロナ禍以降は私がセレクトしたサプリやコスメ、雑貨を販売するオンラインショップも開設しました。
韓国に拠点を移して18年、いまは自分の足で立ち、生活することができています。ここまで来るのにたくさん遠回りもしましたし、出口の見えないトンネルの中にいる感覚になる時期もありました。でも、韓国に来て良かった。コスメブログを書き続けて良かった。トンネルの先にはちゃんと光があり、自分を必要としてくれる仕事に出会うことができました。
(構成/尾越まり恵)
新卒で韓国の総合商社の日本支社に就職。入社2年目から本格的に韓国語の勉強を始めたら、どんどん楽しくなりました。
1995年に会社を退職してソウルに1年弱語学留学。帰国後はサムスンで働いたものの、思うように韓国語を生かせるような仕事に就けず、フラストレーションを感じるように。その後、韓国資本のIT系ベンチャーに転職したのですが、あまりのハードワークで疲弊し、ITにも馴染めず……。
「いったん、韓国から離れてみよう」と、日系の人材派遣会社で数年働くものの、結局「自分の強みは韓国語しかない」と思い直します。
2004年の初頭、語学講師の研修受講のために再び韓国に渡り、2カ月間、短期留学をしました。幸い、帰国後すぐに講師の仕事が見つかったのですが、自分の実力不足を痛感します。
時代はまさに、韓流ブーム真っただ中。自分はその前から留学して韓国語を勉強し、韓国企業で働いた経験もあるのに、何とも中途半端な状態のまま36歳になっていました。
――語学だけじゃない。もっともっと韓国のことを知り、自分に自信をつけたい。
そう考え、韓国に移住することを決意します。いま思えば、何をやってもうまくいかない現実から逃げたいという思いもあったのかもしれません。
知人のつてをたどり、最初は地方都市の慶州(キョンジュ)で暮らしました。はじめての田舎暮らしで、人との距離の近さにとても戸惑いましたが、いま思えば、ソウルとは違う場所で、その土地の人と触れ合い、何とか生活を続けられたことが、いまの自分の糧になっていると感じます。それなりに覚悟を決めて韓国に来たので、ここで何かを成し遂げられるまでは日本には帰れない、と、そのときは強く思っていました。
はじめは知り合いを通じて翻訳の仕事や、企業から通訳コーディネーターの仕事を受けていましたが、生活は安定しません。
「何か自分の名刺となるような分野をつくりたい」と考えていた2005年は、ちょうど「MISSHA(ミシャ)」や「イッツスキン」など、後に「プチプラ韓国コスメブーム」をけん引するブランドが生まれ始めた頃です。もともと皮膚が弱く、コスメには興味がありました。
翌2006年にはハンスキンが発売した「BBクリーム」が大ヒット。韓国コスメが日本でも紹介されるようになるのですが、日本語で見られる情報が圧倒的に少ないと感じました。
「よし、じゃあ私が書こう!」
ブログを開設し、誰が読んでくれるかわからないながらも、一生懸命韓国コスメの情報を書き始めました。
転機はそれから数年後。旅行ガイドブックの編集者がブログを見て、「パワーブロガーのおすすめ」特集に私を起用してくださったんです。これをきっかけに、旅行ガイドブック『るるぶ』などの取材や執筆を担当するようになり、さらに日本のいろいろな雑誌の韓国特集のライティングの仕事へと広がっていきました。
2011年からはソウルに拠点を移し、コスメを紹介するイベントなども実施するように。コロナ禍以降は私がセレクトしたサプリやコスメ、雑貨を販売するオンラインショップも開設しました。
韓国に拠点を移して18年、いまは自分の足で立ち、生活することができています。ここまで来るのにたくさん遠回りもしましたし、出口の見えないトンネルの中にいる感覚になる時期もありました。でも、韓国に来て良かった。コスメブログを書き続けて良かった。トンネルの先にはちゃんと光があり、自分を必要としてくれる仕事に出会うことができました。
(構成/尾越まり恵)
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