山田 佳奈恵

大学卒業後、「超安泰」と言われていた政府系の金融機関に入社。しかし4年で退職することを決めました。

両親が金融機関で働いていたこともあり、「転勤がなく、安定している」という理由で、大学卒業後は農林漁業金融公庫(現・日本政策金融公庫)に就職しました。約30人いる同期は男女問わず仲良しで、融資実績を取りまとめる部署の一般職として勤務をスタート。当時女性の一般職はいわゆるお茶くみやお茶菓子の準備なども重要な業務とされていましたが、農林水産省から出向で来ていた直属の上司は女性活躍推進に力を入れていきたいとこの状況を疑問視。「一般職だからといってこんな仕事をしているなんてもったいない!」と入社半年で上司肝いりの「女性キャリア促進プログラム」に参画することとなりました。

プログラムでは女性のキャリア開発・転換のためのさまざまな勉強会や試験対策のためのサポートがあり、次第に一緒に参加していた同期や先輩方と自分の今後のキャリアを考えるようになりました。わたしは時折書類などを届けに行った際に見た広報部の人たちの華やかな仕事風景を思い出し、「2年目以降は広報に行きたいです!」と手を挙げてみました。

2年目に無事広報部に異動となったわたしはそこで公庫が発行する機関誌や、融資先である農家や林業、漁業、加工メーカー向けの情報誌の発行などを手掛け、社内報の立ち上げにも携わりました。重たいカメラを持って全国各地の取材先を渡り歩く仕事は想像以上に重労働でしたが、経営者の方々に取材をして雑誌を作る仕事はとてもやりがいがあり面白いものでした。しかし次の異動のタイミングで広報部以上の異動先を見つけられなかったわたしは、ほとんど全員が退職まで勤めるような「超安定」企業であり、人間関係も非常に良好だった農林公庫を、退職することに決めたのでした。

転職活動や転職先での仕事は思いのほかうまくいかず、ノートPCが1台あれば家でも仕事ができると感じたわたしは30歳で独立を決意。フリーランスのライターになりました。熱心に投稿していたアメブロ経由で入る仕事もありましたが、ほとんどつてのない状況で独立してしまったこともあり、人脈開拓のために50万円ほどの借金を抱え、日雇いでピッキングや梱包作業をしながら借金を返済するなど、なかなか思うように仕事のできない日々を過ごします。

いつか受講したいと思っていたPR講座がコロナ禍でオンライン開催になって、最後に藁をも掴む思いで受けようと決意。「もう借金なんてコリゴリ!」と思っていましたが、古巣の公庫から100万円のコロナ融資を受け、その資金を元手にPR講座を受講。フリーライターからPRコンサルタントに事業転換をしました。結果、半年で6社ほどの法人PR案件を受注することができ、いまでは法人化し、2名の業務委託スタッフとともに再びPR事業を軌道に乗せることができました。

ここでは伝えきれないほどのたくさんの遠回りをしてきたけれど、すべての決断はむだではなかったと思っています。今はホームページのリニューアル中で、まだ見ぬお客さんの広報PRに携わり、事業拡大に寄与していけることが楽しみでなりません。これからも多くの企業の力になっていければと思っています。


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