岡部さんショート

「決断は何ですか?」と聞かれて、正直困りました。今日、何を食べるか、どんな服を着るか、そんな1つ1つはもちろん選択しながら生きています。でも、人生にかかわる大きな決断なんて、何1つしてこなかった。50歳になって、そんなことに気づかされました。
ただ、選択に軸があるとしたら、そのときそのとき、「おもしろい」と思う方を選択してきた。それが、いまの自分につながっています。

「友達がいるから」
安易な理由で工業高校に進学

海と山があり、自然に恵まれた和歌山市で生まれ育ちました。会社員の父と、喫茶店などでパート勤務をする母、そして弟の4人家族。子どもの頃の僕は明るく目立ちたがりで、当時からみんなを笑わせたいという思いがありました。

岡部さん幼少期

明るくてやんちゃな子どもだった(本人提供)


小学校低学年のときにはジャッキー・チェンにはまります。「迫力があってカッコいい!」と思いました。ちりとりと箒(ほうき)を持って、アクションのまねごとをして遊んでいました。

小学校から少年野球のクラブに入り、友達とつるんで遊ぶのが楽しかった。中学時代は『ビー・バップ・ハイスクール』などのいわゆるヤンキーモノがはやっていて、ちょっとヤンチャな格好をしていたことも。ただ、母親が厳しかったので、長ラン(学生服の丈を長くしたもの)をわざわざ持って出かけて、外で着替えていました(笑)。

岡部さん中学

中学校の卒業式(本人提供)


高校は、地元の工業高校の土木科へ。仲のいい友達がそこに行くというので「じゃあ俺も」と選んだだけ。「俺は土木を極めるんだ!」「伝説の現場監督になるぞ!」なんて気概はまったくなかった(笑)。
卒業後の進路は、ほとんどの同級生が建築関係の家業に入ったり、建設会社に就職したり。当然のように僕も建設会社に就職したものの、これがまったくおもしろくないんです。もともとその仕事にモチベーションがあったわけではないので、当然ですよね。1年ちょっとで辞めてしまいました。

その後は、トラックの運転手をしたり、喫茶店で働いたりと絵に描いたようなフリーター生活。地元の仲間たちと会って遊んでは、漠然とした夢を語り合う。芸があるから芸能人だということも知らず、「芸能人になったら、あれちゃうか。ええ感じとちゃう?」なんてくだらない話をしていました。 何者かになれる気がしていたし、たとえなれなくても毎日は楽しかった。

岡部さんアイドル

友達とアイドルのまねごと(本人提供)


「こんな世界があるのか!」
24歳で上京、舞台の世界へ

23歳くらいまでフリーターでふらふら過ごしていたものの、一緒にアホなことをやって遊んでいた仲間たちも、きちんとした仕事に就いたり、結婚したり、落ち着き始めます。
――このまま和歌山にいてもおもんないな……。

そんなとき、「東京に行きたいなら、私も一緒に行くやん。やりたいことやった方がええよ」と言ってくれたのは、当時付き合っていた彼女でした。
東京に行ってみたいけど1人ではちょっと怖い……と思っていた僕は、「ほんま? 一緒に来てくれる?」と彼女に背中を押されて東京に行くことになりました。

漠然と、芸能人というものに興味があったのですが、どう始めていいのかわからなかったので、柄本明さんが座長を務める「劇団東京乾電池」の研究生オーディションを受けることにしました。上京前、大阪で乾電池の舞台を観に行ったときのことは、今でもよく覚えています。
それまで僕が抱いていた舞台のイメージは、俳優たちが大きな声を出して熱い演技をするもの。でも、乾電池の舞台はまったく違いました。前のめりにならないと聞こえないほど、小さな声でボソボソしゃべるんです。
「なんだ? これは……」 
なんか変なもの見ている、という感覚。それなのになんかおもしろい。「こんな世界があるのか」と、ものすごい衝撃を受たことが、この世界に進むきっかけになったのかもしれません。

オーディションでは特技を披露する課題があり、柄本さんの前で尾崎豊の「I LOVE YOU」をただ熱唱(笑)。なぜだか受かり僕は研修生になったのです。

劇団にはおもしろい人がたくさんいました。和歌山では「自分っておもろいな」と思っていた僕でしたが、ここではじめて、「もっと世界を広げなくては、ここにいる人たちと会話もできない」と、自分の無知に気づかされます。小津映画、黒澤映画といった日本の名画を見るようになったのもこの頃からです。

1年間の研修生時代には、柄本さんや先輩の劇団員に見てもらう、夏と冬の公演がありました。そこで「ホン(脚本)を書きたい人、手を挙げて」と聞かれて、僕は手を挙げた。脚本なんて書いたことがないのに、「自分で書いたほうがおもしろいだろうな」と思ったんです。

自分を主人公に設定し、和歌山からの上京を機に、5人の仲間たちのバランスが崩れていくという実話をもとにしたストーリーを作りました。これが意外にも高評価を得て、「卒業公演を書いてみないか」と言ってもらえた。しかし、これが地獄の始まりでした。まったく筆が進まず、体重も52キロまで落ちて、十二指腸潰瘍になるくらい苦しみました。脚本を書くことに手を挙げたのが僕の決断だとしたら、これはもう大失敗です。

たいした脚本が書けないまま迎えた卒業公演。友人や彼女も観に来てくれましたが、僕は人前で演じるのが恥ずかしくてたまらず、本番でもまったく前を向けなかった。 その日、友人は何も言わずに帰り、彼女には、「……やめたら?」と言われました。

ところが、僕はなぜだか正式に劇団員になれたのです。後から聞いた話では、その当時の劇団は何にも染まっていない素人っぽい人を求めていたようです。

「いまの環境を変えたい」
40歳を前にオーディションに挑戦

乾電池の劇団員になったのは、25歳。ここからの俳優人生も、人間関係が停滞したり、おもしろいと思えなくなったりしたタイミングで、環境を変えていきました。
乾電池は3年で退団し、30代は「午後の男優室」というユニットや、「城山羊(しろやぎ)の会」などに出演。少しずつ、テレビドラマにも出演するようになりました。

岡部さん舞台

観客がクイズに参加する野外舞台。芝居の中で常に「おもしろさ」にこだわってきた(本人提供)


その後の転機は30代半ば頃。青年団系の舞台のオーディションをたくさん受け始めます。みんなオーディションに落ちるのは嫌だと思いますが、そのときの僕は落ちてもいいから、いままでとは違うことをやりたい、という衝動にかられたんです。落ちたり受かったりしながら、少しずつ世界が広がっていきました。演技の「スタイル」と言えるほど大げさなものではありませんが、自分が求める芝居の方向性が決まってきたのはこの頃です。自分がこれまでこだわってきた「おもしろさ」。それが何なのか、見えてきた時期だったと思います。

40歳でいまの事務所に移籍。さらにテレビドラマの仕事が増えていきました。ようやくアルバイトをせずに、演技だけで食べていけるようになったのはこの頃からです。それまでは、警備員から始まり、居酒屋や日雇いの作業員、テレフォンアポインター、宅配寿司のデリバリーなど、本当にいろんなアルバイトをしていました。

反響の大きかった「エルピス」
人間が持つギャップを表現したい

2022年10月期のドラマ「エルピス」(関西テレビ制作、フジテレビ系列)の村井喬一役は、これまでにはない役どころでした。美しい長澤まさみさんに対して「オバハン」「能なし」「更年期か」などと言わないといけない。
監督の大根仁さんからは「とにかく炎上しないようにお願いします(笑)」と言われました。「どうやったらいいんかな」と悩み、これはスピードだなと思った。村井には悪意があるわけではないから、時にお菓子を食べながら、スマホをいじりながら、たいした意味もなくとにかく垂れ流すように台詞を言うことにしたんです。

そんな村井が9話のラストでセットを壊すシーンが、ドラマでも大きな見せ場となります。大根さんからは「これはすごいことになる。もしこれで岡部さんが売れなかったらもう俺は知らないから」と言われていました。実際、エルピスの反響の大きさには驚きました。

エルピスの村井は、罵声は浴びせるけど、心の中では違う感情が揺れ動いている。エルピスの言葉でいうと、「善玉」と「悪玉」をあわせもつ。そういう人間らしさを演技で表現できたときが一番楽しいですね。例えばピシッとスーツを着た、スタイリッシュで冷静沈着な政治家が、いざ走ったら走り方が変だったり、ちっとも余裕のない運転の仕方だったり。そういうギャップを演技でしっかり表現できたらおもしろいなと思います。

正解なんてわからないから
決断した後も揺れ続けていい

「決断」って、とても強い言葉で、責任が伴うような気になってしまいます。だけど、決断した後もブレていいし、揺れ続けていい。昨日言ったことが今日変わっててもいいじゃないですか。こだわらなくていいのかな、と僕は思います。人は揺れるから面白い。

人はある意味、自分を肯定できないと苦しいので、自分の決断が良きものだと思いたいのです。だけど、自分の決断が正しかったかどうかは、もしかしたらずっとわからないのかもしれません。覚悟を決めて決断しても、違う方の道を選んでいたほうが良かったかもしれない、と揺れる。実際に、違う道は大成功だったかもしれないし、地獄だった可能性もある。
一度決断したことでも、進んでみて「おもしろくないな」と思ったら、またそこから選び直す決断をすればいいんだと思います。

こうして、僕はふわっと50歳になりました。これまで大きな目標も目的も持たずにやってきたので、これからもそういったものは持たずに生きていくのではないかと思います。目の前の1つ1つ、自分が考えるおもしろい方を「選択」していけたらいいなと思っています。

(文・尾越まり恵)

岡部たかし
俳優
1972年、和歌山市生まれ。24歳で上京し、劇団東京乾電池に入団。退団後は山内ケンジ氏がプロデュースする「城山羊の会」など、数多くのプロデュース公演に出演。自身が立ち上げた演劇ユニット「切実」では演出も担当。「あなたのブツが、ここに」(NHK)、「エルピス」(関西テレビ、フジテレビ系列)、「リバーサルオーケストラ」(日本テレビ)など数多くのドラマに出演。
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